7 June 2022

川内倫子の日々 vol.17

水泳と豆ごはん

7 June 2022

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川内倫子の日々 vol.17「水泳と豆ごはん」 | 川内倫子の日々 vol.17

水泳と豆ごはん

毎年5月中旬を過ぎると実家から豆類と玉ねぎ、じゃがいもなどが大量に送られてくる。両親が家庭菜園というよりはもう少し大きめの畑で野菜を長年作っているので、この時期は大量の野菜がいっせいに育つのだ。
初採れの空豆やえんどう豆は驚くほど柔らかく甘い。
空豆は殻付きのまま魚焼きグリルで焼き、えんどう豆は豆ご飯にして食べる。豆は最初からご飯と一緒に炊くと色が悪くなるし、別に湯掻いて混ぜるとせっかくの豆の味が弱くなる。米が噴き出したタイミングで豆を入れるのがちょうどいいのだ。それもタイミングを間違えると米に芯が残ったり、豆が硬めになったりする。そうして何度か失敗した豆ごはんも、長年の経験から、いまはかなり満足のいく炊き上がりになる。

幼い頃はとくに好物ではなく、むしろあまり好きではなかった豆ご飯も、年を重ねるにつれ、その滋味深さに感嘆とする。子どもの頃にしか感じられないこともあるが、大人になってから気づくことも多々ある。新緑の季節の木々のまぶしさに、旬の食べ物の味わい深さに、圧倒される思いが年々増していく。
ことしもこの味にありつける喜びに包まれつつ、両親がつくる野菜をいつまで食べられるのかと思うと、より一層ありがたみが増した。

今月から娘が水泳教室へ行くことになった。
去年一緒にプールへ行った際、自分が泳げないことが悔しかったようで、泣いたことがあった。泣くくらい悔しいなら、教室へ行くのもいいかもしれないと思い、暖かくなったら始めてみようと思っていた。
以前から目星をつけていたところへ見学に行き、ここで先生に教えてもらう?と聞くと、行きたい!と嬉しそうに笑った。
初日、更衣室で着替えを手伝い、プールにつながるドアの前で、ここからは一緒に行けないからね、ひとりで大丈夫?と聞くとうなずいたが、若干不安そうな顔。どうしようかと思っていたら、娘と同じ年頃に見える子がちょうど入ろうとしたので、この子も一緒に連れていってほしいと頼むと、その子のあとを追いかけるようについていった。
後ろを振り返りもせずに行ったので、逆にこちらが置いていかれたような気持ちになり、いつかくる巣立ちの日はこんな感じなのかなと予行演習のような気持ちになる。それは思っているよりもすぐにくるのだろうと予感した。

久しぶりにプールの塩素の匂いを嗅ぐと、過去の記憶が蘇る。泳ぐことは自分にとって長いあいだの習慣のひとつだった。
喘息もちだったから医者の勧めで7歳から12歳までスイミングスクールへ通った。ずっと嫌で仕方なかったが、通ううちに上達はしたので、泳ぐことがいつのまにか好きになった。中学は友人に誘われてなんとなくバレー部に入り、水泳からは離れたが、高校では部活はせずに週一で近所のプールへ通った。その後就職してからは自由な時間が少なくなり、また泳ぐことから離れたが、フリーランスになって自分の時間が増えてからは、また泳ぎ出した。とくに仕事が少なかった頃はプールに通うことで心身の健康を保つことがなんとかできたように思う。東京で一人暮らし、友人も少なく、仕事も少ない状況で、不安と孤独感でどうにかなりそうなとき、泳ぐことでバランスをとることができた。それでも足りないときは時々街を走ったが、それは向いてなくてあまり続かなかった。
泳いでいる最中はくぐもった水の音だけが遠くで聞こえ、ただ、身体を黙々と動かすことで余計な心配や、不安感から解放され、外界と束の間離れられる。それがそのときの自分にはちょうど良かったのかもしれない。

幼い頃にいやいやながら水泳を続けたことは、結果的に未来の自分を助けることになっていた。継続は力なり。思えばいまの仕事もそうだ。途中でやめずにいたのでいまの自分がある。
どちらも最初はなにもできないから、全然楽しくはない。でも少しコツをつかみ出すとぐっと手応えを感じる瞬間があり、その感覚をまた味わいたくてもう少しやってみよう、という気持ちになる。いまの仕事は技術的にある一定の段階に進んでも、写すものは今目の前にあるものであり、過去に撮影した被写体と似ているが違う。いつもあたらしい現実世界があり、少しアップデートした自分がそこへ向き合うから、終わりがない。
水泳は続けられたが、ジョギングは無理だったので、向いていることしか続けられないのだろう。写真は向いていたということだ。人生のわりと早い段階で、向いていることと、終わりがないことが見つかったのは幸運かもしれない。

そう思うと娘にもできるだけたくさんの経験を積んでいってほしいし、続けてられることは続けてほしい。ピアノも習ってみる?と聞くと、それはやりたくない!ということだった。自分も同じことを同じ年頃で言ったことを思い出した。
帰り道、娘が水泳楽しかった!また来たい!と嬉しそうに話していた。いつも憂鬱な気持ちで通っていた自分とはまったく違う。楽しめるなんてすごい。当然のことだが自分とは違う人間なのだなと思った。

積み重ねていく経験が彼女の糧になるといい。豆ご飯がうまく炊けた充実感や、仕事がうまくいったときの達成感をいつか彼女が成長した日に味わってほしいと、夕日に照らされた娘の濡れた髪を眺めながら思った。

川内倫子の日々 vol.17

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