この作品は極度にミニマルかつシンプルであり、じゃによって強度が非常に高い。筆者はページを繰るたびに「はあああ」とため息をつき、20ページに1度ぐらいの頻度で落涙した。「甘酸っぱい」というやつである。
「1987年と88年に、日本全国で、17歳の少年少女をモノクロ撮影する」それだけである。彼ら、彼女らは全て一般人で、道端から自室の中まで、ライフサイズの中で撮影されている。いわゆるドキュメントタッチだが、判型は正方形で、サイズは「当時のLPレコードの大きさ」とするのが具体的な数値を出すよりもはるかに正しいだろう。
メッセージは一つ、それは「17歳」という年齢が持つ、あらゆる意味の集合体で、「あらゆる」と言ってもそれは(ここには、ヤンキーからごくごく普通の女子高生、自衛官から相撲の行司見習いまで、ありとあらゆる職種のヴァリエーションが詰め込まれている)、あらゆるように見えて結局たったひとつだということを読み取らない読者はいないだろう。よほど特殊な事情がない限り(生まれてすぐ捨てられ、森で狼に育てられた、とか)「17歳」は、まばゆいほどに「17歳」なのである。
つまりこれは、毎年作ろうと思えば作れるフォームで、毎年その強度に変化はないであろう。この写真集に写っている彼ら、彼女らは現在52~3歳であり、筆者と5歳以上離れているが、ほぼ同世代に当たる。
今回は、筆者を「甘く熱い(そして限りなく軽い)涙」を流したらしめた本作の、17歳の肉体と自我から放たれる体臭のようにむせ返るパセティックとノスタルジーが、筆者の個人的なものなのか、あらゆる世代の日本人に、地球人全体に共有されるものなのかどうか、原理的に判別できないまま進める。
「1億総中流」という、今では信じがたい時代のムードが、わずか数年後には崩壊し始める、牧歌的な時代の最後を記録しているとも言える。各写真の脇には、これも80年代のマガジンカルチャーの定番なのだが、「家族 / 今朝の朝食 / 将来 / 好きな音楽 / 最近読んだ本 / 今まで行った一番遠いところ / 小遣い / フリーコメント」が記載されており、誰もが熱心に、正直に答えている。
こうした部分も含め、仔細に検討すれば「87&88年」の、日本の近現代史における意味(「ヤンキーとファンシーの円環構造」のオールドスクール、バブル経済急落の、ギリギリのテイルが見せる地方都市の景色、「サブカル」の胎動、そもそも「エイティーズカルチャー」の断末魔と、来るべき「90年代=平成」という大転換期の前夜、等々)をかなりの精度で読み取ることも充分可能だ。
むしろ現代の20代にとって、本作は“祖先の記録”として、半ば人類学的に読み取る、筆者とは全く別の「非当事者性」から来る距離感がもたらす知的、感受性的な興奮があるに違いない。
しかし筆者は「懐かしい痛みだわ。ずっと前に忘れていた」という昔の流行歌の歌詞によって(本作は、この歌から更に3~4年が経過しているが、現在の3~4年と当時の3~4年では端的に長さが違う)落涙してしまっているので、そんな余裕はない。せめてペアリングを最良のものとするしかない。しかし、メッセージが強すぎ、曲球は投げようとボールを握った瞬間から脱力させられる。どんなにベタだろうと、本作には、撮影当時の音楽、同じ時代の、同じ空気を吸った音楽とのペアリング以外、筆者には実行できなかった。
こういう時世なので、「87~88年のヒット曲邦楽 / 洋楽」で検索すれば、まるで昭和の電話帳のように一覧が出てくる。どの曲を選んでも、シミュラクラが起きる、それは当時のテレビ番組であったり、テレビCMであったり、映画のワンシーンであったりする。
もう後は、数を当てるしかない。筆者は邦楽から30曲、洋楽から45曲を当ててみては試行錯誤を繰り返し(6時間かかった)、最終的にスモーキー・ロビンソンの『Just To See Her』に決定した。
非常に大雑把に「アメリカのヒット曲の世界において」とするが、87年以降は、85年の「ウイ・アー・ザ・ワールド」という祝祭によって地ならしされ、荒廃した、ロストオブオーダーの枯れきった真空の時間とされるが、そうした年にデビューし、一発屋で終わったバンドのように、荒野に咲く一輪の花もある。
一方、注がれる水が多すぎる時も、少なすぎる時も、適正だった時もそれなりの花を咲かせ続けたベテラン達もシーンは担う。スモーキー・ロビンソンは82歳で存命中、「ローリングストーン誌が選ぶ歴史上最も偉大なシンガー」ランキング20位。前述「ウィ・アー・ザ・ワールド」にも、45歳にして地道にしっかり参加している(ソロパートなし)。あなたは彼の歌を1曲でも口ずさめるだろうか?
R&B、ソウルのマニアならどれが最高の曲かの決定会議は紛糾するほどだろう。そもそも伝説のタムラ=モータウンレコードの第一契約者は彼がメンバーとして参加していたザ・ミラクルズであり、モータウン最初期のナンバー1ヒットは(R&Bチャートでだが)スモーキーとゴーディーが共作した「ショップ・アラウンド(60)」である。「ユーヴ・リアリー・ゴッタ・ホールド・オン・ミー(62)」もR&Bチャート1位を獲得し、かのザ・ビートルズもカヴァーする。
彼は、典型的な「60年代R&B歌手」の生き方をし、つまり、60年代に富と名声を手に入れた後、音楽界のモードチェンジという豪風を悠々と受け流し、70年にはとうとう全米チャート1位の完全制覇(ジャンル分けを超えた)を成し遂げるが、80年代に一時、スローダウン(それは低迷や凋落とは違う)し、しかし80年代のサウンドがR&Bにもしっかり使えることが分かると元気百倍、今回選曲した『Just To See Her』は全米8位を記録、グラミーの最優秀男性R&Bボーカル・パフォーマンス賞を受賞。60年代発のR&Bソウルシンガーで、このあらすじと全く違う動きをする者はいない。つまり、80年代は彼らにとって、枯れきった真空の時代でもなんでもなく、一線は退くも悠々自適の時代なのだ。
が、翌88年にはスムースジャズの王子ケニー・Gのアルバムに参加、とやや道に迷い、畳み掛けるように、これまた伝説のモータウンの売却(同88年。買収者はMCAレコード)をきっかけに90年代は貯金で暮らし、以後、駆け足に、2000年代以降はクラシックスとしてリスペクトを受け、現在では重鎮である。
しかし、こうした蘊蓄は一切必要ないのだ。今回のペアリングは、筆者の個人的なノスタルジーから、筆者が抜け出たかどっぷりはまっているだけなのかだけが問われる、試験の難問のようなものだ。
過去は甘く、過去は苦い、ましてや「青春期」を現在の平均値からはやや狭目に「15歳から30歳」までとするなら、本作出版時に25歳だった筆者にとって、それは恐るべきことに「青春の思い出」なのである。ペアリングとこのテキスト書きを、つまりミッションを終えた後も、筆者は本作と『Just To See Her』のリピート再生を止めることができなかった。
菊地成孔|Naruyoshi Kikuchi
音楽家・文筆家・大学講師。音楽家としては作曲、アレンジ、バンドリーダー、プロデュースをこなすサキソフォン奏者、シンガー、キーボーディスト、ラッパーであり、文筆家としてはエッセイストであり音楽、映画、モード、格闘技などの文化批評を執筆。ラジオパースナリティやDJ、テレビ番組等々出演多数。2013年、個人事務所株式会社ビュロー菊地を設立。著書に『次の東京オリンピックが来てしまう前に』『東京大学のアルバート・アイラー』『服は何故音楽を必要とするのか?』など。