14 July 2023

川内倫子の日々 vol.29

時間をつなぐ

14 July 2023

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川内倫子の日々 vol.29「時間をつなぐ」 | 川内倫子の日々 vol.29

時間をつなぐ

先日、新宿の高層ホテルに宿泊する機会があった。
新しくできたそのホテルの部屋に自分の作品を飾ってもらえることになり、家族で宿泊させていただくことになったのだった。
ホテルに泊まることは出張が多い仕事なのでよくあるが、今回のように高級な部屋に泊まる機会は多くはない。娘も部屋に入った途端に綺麗だね!広いね〜と喜んでいた。
なにもかもが新しく、部屋の窓からは新宿の街を見下ろせる。
部屋の見学をひとしきりしてから、ネットで検索したホテルの近くの焼鳥屋に向かう。
歌舞伎町を子連れで歩くのは若干緊張したが、夜のはじまりのその街は、本領発揮という感じで勢いが感じられた。人々の発する言語は日本語だけではなく、さまざまな言葉がすれ違いざまに聴こえてくる。歓楽街の賑わいは妖しげな活気に満ちていて、子どもの手を握る力が自然と強くなる。
初めて入った焼鳥屋は換気がしっかりしていて店内は煙もなく、まだ新しい店内はすっきりとした清潔感があり、スタッフは皆笑顔で迎えてくれ、居心地がよかった。家族3人でカウンターに並んで座り、丁寧に焼かれた串焼きをそれぞれに楽しんだ。
まだ外はほんのりと明るく、よく知っていたはずの街は、もう変化をとげていて初めて訪れた異国のようだった。娘と3人というシュチュエーションも相まって、カウンターで肉を食べながら、ジブリの映画「千と千尋の神隠し」を思い出し、別世界の入り口にいるような気分になる。

ほろ酔いで店を出ると街はすっかり暗くなっていて、いま目覚めたばかりというような空気が満ちていた。歌舞伎町の入り口の横断歩道前で信号待ちしていると、目の前に広がる街並みは電飾できらきらと光り、巨大な不夜城がそびえるさまに、映画の温泉宿の入り口の前に立ちすくむ主人公のように圧倒された。
ホテルの部屋に戻り、新宿の夜景を見下ろしながらコンビニで買ったハイボールを飲んでいると、自然とこの街の思い出が頭に浮かぶ。
かつての自分にとっての新宿は中古カメラ店とヨドバシカメラだ。フイルムや印画紙を買いに何度も通い、そのたびに近くにある中古カメラ店をいくつか覗いた。

夫にそのことを言うと、同い年の彼も新宿にまつわる昔のエピソードを懐かしがりながら話した。お互いに新宿沿線に住んでいたこともあったから、思い出話は尽きなかった。まだ知り合うまえにどこかですれ違っていたかもしれないと、街のあかりを見ながら思う。それが星のようにも見え、部屋全体が広大な宇宙に包まれ、宙に浮かんでいるようだ。

それは人智を超えた世界にいるようでもあり、少し怖くなったが、真っ暗な夜の闇に散らばる街のあかりはもちろん星ではなく、人が作り出したものだ。そう思うと数え切れないそのあかりにそれぞれの人生を重ねて見ることもでき、いつか死を迎える人間の切ない生の瞬きのようでもある。

思い出深い街を上から見下ろすことは、自分の過去を俯瞰で眺める行為でもある。それはもう戻れない場所に自分がいることと、そこへ飛び込めば時間の概念から解放されるという事実であり、落ち着かない気分になった。
過去は時々巨大な闇として自分に襲いかかるが、俯瞰で見ていると自分が現世にいないような奇妙な感覚もある。

思えば写真を編集する作業は常に過去と向き合うということだ。そういったことを普段繰り返していると自分の立ち位置がわからなくなるときがある。だから作業中に部屋の窓から外を見ると一方向に川が流れていることに救われることがある。
普段の自分たちの日常の傍には川が流れていて、それは現在の時間をつなぐのにちょうどいいのだなと再確認した。自分で無意識のうちに時間軸をリセットできる場所を選んでいたのだろう。
そう思うと毎日聴いているせせらぎが恋しくなった。

川内倫子の日々 vol.29

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