Talk
Yoshiyuki Okuyama × Yuri Mitsuda

対談 奥山由之×光田由里
写真に反響する“こだま”に耳を澄まして

AREA

東京都

8 December 2017

Share

奥山由之×光田由里「写真に反響する“こだま”に耳を澄まして」 | 対談 奥山由之×光田由里

光田:表紙のお祭りの写真ですが、大きく引き伸ばしたプリントを見ると昭和の写真のようですね。

奥山:いつ撮られた写真なのか、どんな意識を持って撮られたのかもわからないような一枚。ただ自分がシャッターを押したことには何かしらの理由があると思うんですよね。そもそもこの写真を撮っていた時期は、写真を撮りたいという意識がほとんどなかったんです。『BACON ICE CREAM』でいつの間にか作品が一人歩きして、すごいスピードで思っていたよりも大きな波がさらってしまった感覚に陥ってしまっていました。とても幸せなことではありながら、僕には少し早すぎて、ぽつんと置いていかれた気分になって、もう写真が撮れないんじゃないかと思うこともありました。そんなときに、撮る目的ではなくこの村を訪れて、この家族を自然と撮っていたのは不思議な因果だと思いますし、救われた部分でもあります。この場所に行ったこと自体に意味があると思ったんです。

奥山由之

光田:縁あって訪れた場所で感じた、これまでと異なる場所と自分との関係が、このお祭りの写真に表れていて、表紙に選んだと。

奥山:そうです。これまでの自分の写真とは違う何かが写っていると感じました。自分が撮った意識があまりないというか。いままでは写真を通して自分を見て欲しいとでもいうような自意識、ナルシズムが強かったと思います。ただ今回は、いままでの作品に比べて自意識を排している印象があります。シャッターを押しているその時よりも、写真を選んでいるときの方が断然に意識的だったと思います。

光田:この赤ちゃんの写真もそうですか。左下に少し写っている足も面白いです。

As the Call, So the Echo

奥山:この表情とか、重力の歪み、あとから見て自分が面白いと感じることも、いままではあまりなかったところです。撮っているときに仕上がりがイメージできていることが多かったので。あとは水も今回の作品の大事な要素です。コップを2つ用意してきれいだね、とか美味しそうだねと言葉をかけている水と、汚いねとか不味いと言葉をかけている水では、凍ったときにできる結晶の形が全然違う。きれいだねと言葉をかけている方が、結晶もきれいなんです。人の体もほとんどが水でできているので、同じ水質の人同士が引き寄せ合うそうです。この村にも川があるのですが、きっと哲朗さんの水は、その川の水に近いのではないでしょうか。実は水に引き寄せられて場所も人も選んでいる。ちょっとスピリチュアルな話になってしまうのですが。でも人が初めて触れるのはお母さんのお腹の中の水でもありますから、大事なテーマだと思っています。

光田:タイトルにもあるEchoとは波動のことですよね。

奥山:その波動を感じ取って編んでいくことを、今回は大切にしています。3章の始まりとなるこの作品群(写真下)は、哲朗さんが住んでいる米倉の壁に穴を開け、光ファイバーのような蓄光する線をフラスコの中に入れて、外から光を取り入れる造作を作ったのですが、それを米倉の中からのぞいている写真です。現実的な生活を写した2章から、頭や体の中を思考が通って次の章に続いていくイメージ。これは哲朗さん自身もそうなのですが、水のほかに、球体に対しても興味があります。人と人が描く円環の関係性なども含め、“球体”も今作の大事なテーマです。

3章の導入として構成された作品群。一番右の1枚は、同じ写真を露出オーバーでプリントしたもの。

3章の導入として構成された作品群。一番右の1枚は、同じ写真を露出オーバーでプリントしたもの。

これ(写真下)は、長野に移り住んだあとに東京で哲朗さんが主催した舞台を撮影しています。真ん中の額装作品に使った赤いセロハンは、横の写真の流れを断絶しないで赤い光の影響を視覚的に与えるため。2章と4章は見る側の人で鑑賞のテンポをコントロールできるように、アクリルを使わない同じ額装を等間隔に配置しています。反射もなく見やすいため、少し身近な写真に見えることを狙っています。逆に1章と3章はアクリルや光沢の印画紙で反射を生み、見させられている圧を鑑賞者に感じさせようと試みました。

光田:セロハンを用いた作品は美しいですね。ひとつの作品として見ても面白いと思います。

3章の舞台を撮影した作品。額装を用いたのは、前後の章とのつながりを出すため。

3章の舞台を撮影した作品。額装を用いたのは、前後の章とのつながりを出すため。