4 July 2019

Interview
Go Itami

伊丹豪インタヴュー
写真への信仰、あるいは葛藤

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東京都

4 July 2019

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伊丹豪インタヴュー「写真への信仰、あるいは葛藤」 | 伊丹豪

写真家・伊丹豪による個展「ENTAILMENTS JOURNEY」は、荒木経惟『センチメンタルな旅』から始まる「私写真」への、伊丹なりの現代的なアンサーを意図した展示となっている。作品制作にあたり技術的に新たなアプローチも取り入れたという。なぜいま『センチメンタルな旅』なのだろうか。過去の写真家たちと伊丹自身との関係性、そして、伊丹がテクノロジーを通じて考察しつづける現代の写真のありようについて話を聞いた。

文=酒井瑛作
写真=高橋マナミ

消えゆく昭和的なマッチョイズムと写真

―前作までは「グラフィカル=伊丹豪」という印象を払拭することを強く意識して作品を制作してきたそうですが、今回はどんなことを考えていたのでしょうか?

前作の『Photocopy』(2017年)で、グラフィカルといわれることへの考察は、自分ではそれなりにできたのかなと思っていて。そこで意識したのは、脈々と受け継がれている日本の写真史。西洋美術とは少し違った形で独自に発展してきた写真史に対する憧れと、自分をその系譜に連ねていきたいという思いで、スナップという方法を基本に考えて撮影していました。じゃあ、次はどういうステップがあるのかと考えたとき、東京で10年以上撮ってきて、自分の中で新しいトピックを見つけることができなかったんですね。

―新しいトピックというのは、写真の撮り方についてですか?

撮り方や撮る場所も含めて。できあがってくる写真もそうですね。だから、ちょっと行き止まりっぽいなという気持ちがあった。それぐらい『Photocopy』ではやれることをあらかたトライしていたんです。『Photocopy』で1枚の写真の強さ=自立性に対する言及はある程度できたのかなと思うのですが、その分、特に西洋圏では、点の集合体のような異質で散文詩的なビジュアルとしての受け止められ方が強く感じて。悪いことではないんですが、そういった、ともすればオリエンタリズムのみのものと曲解されてしまいがちで。ある程度予測はしていたし、そういう作品を目指してもいましたが、一方で、コンセプトは自分の中ではあるわけで、まさにそういうふうに一冊にきちっとまとめられているものを見ると羨ましいと思ったんです。それから、今後どういうことを実践していけば、新たな方向に踏み出せるのか考えるようになりました。

ただ、正直にいえば、あえて写真家と美術家と分けたいい方をするならば、自分には美術家としての素養はないと思うんです。ただ、どこかで写真は美術のプレゼンテーション方法のみに回収され切ってしまわない、少し別の場所にあると思っているし、おそらくはそういうあり方を僕は目指している。その上で、美術の枠組みの中で写真を理解し、社会を含めた大きな視点を獲得しながら戦っていく必要があって。僕みたいなやつは、日本の写真がガラパゴスとして発見されたように、これまでとは別のことを選択して発見されるようなあり方しかできないんじゃないかと思っているんです。

そういう意味で、今回は1枚としての写真のあり方を考え始めました。それはイメージが成立している構造や、写っている情報、使用されている技術であったり。短絡的に聞こえるかもしれないけれど……そうすることで1枚の自立性がもっと高いものになれば、いろんなものを超えられるんじゃないかと期待しているんです。

伊丹豪


―そんな中で、今回はあえて荒木経惟の『センチメンタルな旅』を意識したタイトルを付けられています。ステートメントでは「私写真」という言葉にも触れていますが、なぜ荒木さんだったのでしょう?

荒木さんは『センチメンタルな旅』で、いまの写真は嘘っぱちだといういい方をして、新婚旅行を撮ることが真実であり写真なんだという宣言文をわざわざ書いた。その後、ひとつの写真史が決定される大きなムーブメントになっていく。あれって半分本当で、結局は身の回りのものをなんでもかんでも写真にするための手段だったんじゃないかと思うんです。そこを参照して、荒木さんが世界と「私」とを結びつけて劇場化したことと、いま自分が写真を撮っている中で感じていることとを繋げられるのではないかと考えていました。

いま、自分の周りの同世代には、写真をあまり撮らなくなった写真家も多いんですね。手段として撮ることが介在している人はいるけれど、オールドスクールに撮っている人たちは少なくなったという認識です。そういう中で、自分としては思うことがいろいろあって。やっぱり「撮る」べきではないかと。

でも、1年前に荒木さんの写真に対して告発があったように、マッチョイズムな写真ではどうしようもないという気持ちもあったんです。そんな中で『センチメンタルな旅』の意味を辞書で調べたときに「Sentimental」のアナグラムとして「Entailments」という言葉があった。それは「AだからBである」という論理的帰結を意味する言葉で。その対比で初めてカチッと結びついたところがあって、「Entailments」という言葉を使うことで、自分の立場をはっきりしようと思いました。

―感情と理性の対比が生まれていますよね。伊丹さん自身が置かれている立場というのはどういうものなのでしょう?

僕は昭和51年生まれで、昭和のマッチョイズムみたいなものを存分に受けて育った世代なんです。ある時、それを指摘されてすごくショックだったことがあって。その後、ジェンダーの問題などを自分で調べていって、昭和が本当の意味で終わるんだなと感じました。自分はこのまま時代に取り残されて、バカなオヤジになっていくなと。自分はそうあってはいけないと思う一方で、さみしい気持ちもやっぱりあって、昭和的なマッチョイズムは染み付いてしまっている。おそらく自分の写真もそうで、そもそも荒木さんや森山さんに「憧れる」という言葉そのものがそういうことだと思うんです。

―時代の価値観や過去の写真に対する葛藤がある。

そういうところは、いままで隠して見せてこなかったのですが、声を大にしていっていくことから見えてくるものがある気がしていて。


写真に「私」が表れるとき

―まさに私写真で実践されてきた「私」への言及が、伊丹さんの中で生まれ始めているんですね。ただ、一般的に私写真は、「写真家と被写体の関係性」から考えられることが多いと思うんです。伊丹さんの場合は「写真家と写真の関係性」と読み替えていますよね。伊丹さんと写真の関係性ってどんなものなんでしょう?

最初は何も考えてなかったので、距離もくそもなかったですね。荒木さんの場合は「生きることがすなわち写真」と見えるような活動だったし、自分もそうなりたいとは単純に思っていて。写真には、まずすべての選択に「私」は出てしまうんです。機材選びから始まって、カメラを使うならフレーミングがある。何を撮るにしても、そこに作家としてのスタンスはすべて出ると思うし、「私が撮ってるんだからすべて私写真だ」といういい方は当然できる。

ただ、いまは「こう見て」「こう撮りました」という自意識の強いスタンスは、嫌悪の対象にもなっていて。脱意味化というか。自分としては、そういう流れを否定したいのではなく、自分とはやっぱり違うと感じるんです。そういう違いを見せていくしかないよなと。それが写真家と写真の関係性として出てきているんじゃないですかね。

―「私」を強く意識する中で、作品制作のアプローチは変わりましたか?もともと伊丹さんは、高解像度のカメラを用いて「よく写る」イメージを求めてきました。

そもそも「よく写る」ということをなぜ求めるかというと、やっぱり写っているものに興奮するからなんですね。単純に僕個人の生理的なところからきています。それが現実で見たものと近いコピーであるほど、見比べたときに一番現実と乖離したものになるんじゃないかと思っていて。だから、可能な限り見たままに近い形で複製したい。

『Photocopy』が終わってからは、シグマのSD1という機種の高解像度で撮影できるモードを本格的に使い始めたんです。ただ、そうなると三脚を使う必要が出てきて、手持ちで撮っていた身体性から離れないといけなくなってしまった。それに、最近使っているレンズは開放に近いところにシャープネスのピークがあるので、なるべくその近辺の絞りで撮るようになったのですが、そうするとピントの深度が浅いので思うような写真が撮れない。そんなこともあって、最終的に1回のシャッターにつき7回露光するモードで撮影した後に、多いものだと30個くらいピントをずらして撮影していく深度合成をすることにしたんです。なので実は、1枚の写真と呼んでいるイメージに対して、200枚以上の写真が重なっていることになるんですね。

この方法は今回の作品から始めたことで、写真を撮るときにファインダーを覗きながらイメージに過不足がないか意識するようになりました。おそらくそんなふうに、技術、機材、撮る対象、フレーミングなど撮影にまつわるすべての選択の積み重ねが、一点に収束して「私」を表し始める気がします。

展示風景

―そういった技術的な発展を全面的に取り入れながらも、荒木さんへの憧れがあるように、オールドスクールな写真のあり方を求めようとしているのが、伊丹さんのユニークな点ですよね。

それしかできないんですよ(笑)。僕にとってはこの方法も「スナップ」なんです。ふと何かを見かけてこれは写真になると思って、カメラのセッティングを始める。だから、あくまで写真を撮るきっかけは、これまでのスナップと変わらないんです。

-数百枚を1枚に合成している写真を「スナップ」と呼んでみる。

自分自身、最初はタブーだと思っていたし、こんなのは写真じゃないと言えると思うんですよね。でも、何を写真と呼ぶのかという問題はある。そもそもJPEGに変換されていく過程で、すでになんらかの操作が入っているわけで。スマートフォンのカメラのレンズはもうひとつではないし、一瞬を押さえるという概念もほとんどない。そういう意味でも、いわゆる写真家たちが呼ぶ「写真」は、ものすごくニッチな分野の写真を指すものになっているんじゃないかと。

―それでもあえて「スナップ」として写真を撮ることで、何を写真に写したいのでしょうか?『Photocopy』の刊行時に、荒木経惟の言葉を引用して、写真に「“彼岸”が写った」と話されていましたが、今回も“彼岸”は写りましたか?

“彼岸”に関しては、写っているものが記憶あるいは想像と結びついて、一線を越えて何かが見えるということが時折あると、あのときすごく思ったんですよ。そもそもなぜ自分が写真を選択したのか、それは自分が発見してしまった日本の写真が、自分にはとてもロマンチックに見えたからじゃないのかと思ってます。「見えているものしか写らない写真」というメディアを選択しているにもかかわらず、そうではなく、その写真の背後にある「もの」や「こと」をみんな信じているし、わかっている。写真というメディアを選択し、格闘しているのは何よりロマンティックな行為なんじゃないのか。そういうふうに共感しているんだと思います。

ただ、誰も彼岸は知らないわけで。それは写真というメディアにまつわる「私」のことでもある。なので、写真はコピーであると自分に強く言い聞かせながら、自分が生きている範囲の中を見つめ、複製し、可能な限り見たままに近い複製物として写真と関わっていければと思ってます。

伊丹豪


―伊丹さんの作品は、一見無機質に見えますが、それはつまり伊丹さんが「見えないもの」や「私」が写るという写真への“信仰”をなるべく出さないようにしていたことの表れなんじゃないかと思うんです。いまは、そうでもなくなってきている?

そうかもしれないですね。撮ったあとに情報の足し引きをしているところに、自分の持っているものが出てくるから。自分がコントロールをしている分、出てきてしまうと思う。ただ、1枚を撮るのに30分以上時間をかけていて、すごい作業量なんですよ(笑)。そうすると、自分の気持ちなんて写るわけがないという気持ちにもなる。それでも、最終的に1枚にすると、一転して魔術的に見えるような写り方になる。光学的な作業の積み重ねの成れの果てではなくて、心が動いてしまう何かがあるように見えてくる。それが不思議だなと思うんです。そういうふうに見たことのないコピーを見たくて、時代ごとのテクノロジーと並走しながら、これまでと違うやり方を模索いくしかないと思っているんです。

―そういったやり方を伊丹さんが「スナップ」と呼んでいることは、タイトルにある対比にも通じるところがある気がします。

「私」を表すというのは、そういうことだと思うんです。荒木さんは、自分の新婚旅行を撮ったから「私」という記号がわかりやすく埋め込まれたけれど、いまは「私」が写真のどこに埋め込まれているのかわからないことが多い。自分の場合は、写真の手前にある、写真ができる過程の中に「私」が組み込まれていて、それを写真から見つけてもらえたらいいなと思っています。

▼展覧会
タイトル

「ENTAILMENTS JOURNEY」

会期

2019年5月25日(土)~7月21日(日)

会場

アニエスベー ギャラリー ブティック(東京都)

時間

13:30~18:30

休館日

月曜

URL

http://www.agnesbgalerieboutique.jp/

▼イベント
タイトル

「伊丹豪×冨井大裕×岩渕貞哉トークショー」

日程

2019年7月7日(日)

会場

アニエスベー ギャラリー ブティック(東京都)

時間

14:00~16:00

URL

https://www.instagram.com/agnesb_galerie_boutique/

伊丹豪|Go Itami
1976年、徳島県生まれ。代表的な写真集に『study』『this year’s model』『photocopy』など。エディトリアルや広告でも活躍するほか、ブランドとのコミッションワークも多数手がける。2013年、パナソニック株式会社 / LUMIX特別協賛のもと、IMAプロジェクトが開催した「LUMIX MEETS JAPANESE PHOTOGRAPHERS 9」に出展。
https://www.goitami.jp/

2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。

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