Interview
Hiroshi Sugimoto

杉本博司インタヴュー
杉本博司を育てたのは古美術と科学、その二つに共通点はあるだろうか?

18 September 2020

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杉本博司インタヴュー「杉本博司を育てたのは古美術と科学、その二つに共通点はあるだろうか?」 | 杉本博司インタヴュー

今春リニューアルオープンした京都市京セラ美術館で開催中の「杉本博司 瑠璃の浄土」は美術館の中に仮想の寺院を設営するという前代未聞の試みだが、今回は、そこに配された二つの大きな写真作品シリーズにフィーチャーする。ひとつは京都・三十三間堂の千躰仏と中尊を撮影した「仏の海」、もうひとつはプリズムが生む色彩の美しさと繊細さを切り取った「OPTICKS」。「宗教」と「科学」。人間にとってそれはいつの時代にも「希望」と同義語であり、「意識」の置きどころなのである。

インタヴュー&文=鈴木芳雄
ポートレイト写真=清水北斗

京都の蓮華王院本堂三十三間堂には修学旅行生をはじめ、国内外から多くの観光客が訪れる有名な寺院である。お堂は長さ120メートルあり、そこに平安時代から鎌倉時代に作られた千躰の千手観音立像(国宝)と中尊として千手観音坐像(国宝)が安置されている。発願したのは、この地に居を構えた後白河上皇だ。平清盛が協力して1165年に建立された。創建当初は五重塔も擁する本格的な寺院だったのだが、1249年の火災で焼失し、1266年に、現在、三十三間堂と称されている本堂のみが再建された。

「仏の海 001」1995 © Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

「仏の海 001」1995 © Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

杉本博司が1995年の夏に撮影した「仏の海」が、京都市京セラ美術館(京都市美術館)「杉本博司 瑠璃の浄土」で展示されている。三十三間堂の千躰仏と中尊が、精緻なモノクローム写真の大型プリントで掲げられている。撮影した1995年といえば第二次世界大戦終結から50年の節目だったのだが、それよりも1月に阪神淡路大震災があり、3月には地下鉄サリン事件に振り回された年だった。戦争の反省やその多大な犠牲者への慰霊よりも、目の前で起きたばかりの天災と人災の対応に追われていた。そういう感がある。

そんな年の梅雨明けの7月、毎日が晴天の一週間。早朝、杉本は三十三間堂にいた。植木屋が使うような高い脚立に三脚をクランプで括り付け、その三脚に愛用の大判カメラ、ディアドルフ8×10を据え、自身もまたその高い脚立に登り降りしていた。寺から下りた撮影許可は数日間、時間は朝の5時半から3時間、まだ拝観者が訪れる前、東の空から昇る太陽の光を浴びる千一躰の仏像を撮影していた。一般的な拝観時間帯になると、薄暗いお堂の中に静かに収まってしまう仏像たちが朝のその短い時間だけ表面の金箔を光り輝かせるのだ。

「私はこの広い堂宇の中に一千一体の輝く仏像に囲まれてひとり佇んだ時、来迎図のただ中にいる自分を発見した。そして、『死』とはこのように訪れるものなのだと予感したのだ」(杉本博司『苔のむすまで』新潮社 2005年)

臨終に際して阿弥陀如来が来迎し極楽に導いてくれると信じる者が託す絵。それが来迎図である。ときに、絵の中の阿弥陀如来と死にゆく者を糸で結び、死を迎え入れる。

「仏の海(中尊)」1995 © Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

「仏の海(中尊)」1995 © Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi


現代美術作家としての活動の傍ら、一時期、古美術商を営んでいた杉本はしばしば京都に通った。三十三間堂について思うとき、鎌倉期の再建以降、ほぼ当時のまま、ここにある一千一体の千手観音像と二十八部衆を、創建当時、構想した人々がここに託した壮観、それには理想的な光が必要なのだが、それを見ることは可能だろうかと杉本は考えたのだという。末法思想の渦巻く世に西方浄土を出現させたいという思いを込めた建築であることを読み解いていたのである。

「どうしてあの場所に真東に向かってああいう設計をしたのかっていうのは、それは僕は明白だと思ったわけです。どこまでが後白河院の構想かはわからないけれど、発願したのは後白河院で、金を出したのは平清盛と言われている。あの千躰仏をこういうふうに据えたら、こう見えるだろうと考えた設計者にあたる人がいたはずでしょう。その意図というものを感じたんです。東方瑠璃光浄土の側から、西方浄土に抜けていく、そういう軸線の上に建てるとこうなるということを考えて設計されていると」

京都東山の向こうから昇った太陽の光が、東の方向に向けて配置された仏像をいっせいに照らしたときに出現する世界を見るという願い。そこで、杉本は1988年に撮影許可の申請を出すが、不許可。しばらくして再びの申請もまた不許可。そして、三たび、1995年の申請で初めて許諾を得ることができた。それほど、杉本にとっては見たかったものだ。そしてようやく実現したが、杉本は自分の立場を悔いたとも語っている。写真撮影のために許可を拝領し、写真を撮らなければならない身の上をである。なにもせず、ただただ、光に照らされた仏像を呆然と見ていたかった。しかし、そこはやはり芸術家である。写真として捉え、提示できることの達成感もある。

「同じ京都の中に実物の仏像があって、それはもちろん素晴らしいし、いつでも拝礼できる。けれども、この写真によって、後白河法皇が願った体験を芸術の方法で表現、伝達することがかなったのはなによりもありがたい。そのことは、自分も仏の導きの前で、仏法を世に広める活動をしているのであるというささやかな矜持もあるのです」

実際にあらためて三十三間堂を訪れるとわかるが、開門は夏季は8時30分、冬季は9時。見学者が訪れる頃にはすでに太陽は昇り、お堂の内部は庇が影を作っている。つまり見学者は人工光に照らされた室内を見ているのだ。仏像は十段のひな壇に整然と並んでいるが廊下からは奥の仏像のお顔は見えづらい。杉本の「仏の海」では撮影ポジション(カメラアングル)が高いのと、大判カメラのアオリ機構を利用して、すべての仏像にピントが行き届いている。また、手前には二十八部衆像があるが、それらはアングルの関係で捨象され、観音像だけのまるで均質な画面になっているというわけだ。


限られた時間での撮影なので、フレーミングとピント調整は最初の1カットだけ。あとは等間隔にカメラをスライドしていく。ピントグラスは見ない。かなり絞るので露光時間も長くなる。フィルムフォルダの表と裏、各カット2枚ずつ。脚立に登り、フォルダをセットして、脚立を降りる。ストップウォッチを片手に長いレリーズを握る。1枚撮ったら、再び脚立に登り、フォルダの表と裏を反転し、脚立を降りて、もう1枚。次はカメラセット全体を横にスライドして同じ作業。

かくして、千躰仏と中尊は48カット+1カットの写真に収められた。このときの杉本の宿は三十三間堂に近接する京都パークホテル(現在のハイアットリージェンシー京都)だった。ホテルの1室のバスルームを暗室に仕立て、撮影直後にそこで皿現像をし、出来上がりを確認する。その後、プリント作業はニューヨークのアトリエの暗室で行われた。撮影日は毎日晴天が続いたとはいえ、自然光での撮影のため、結果には微妙なバラ付きが出てしまう。プリントの調子を統一するのは大変な苦労がともなったという。

杉本博司

この「仏の海」は1995年11月からニューヨークのメトロポリタン美術館で開催された展覧会「SUGIMOTO」で発表された。発表時のタイトルは「仏の海=SEA OF BUDDHA」ではなく、「HALL OF THIRTY-THREE BAYS=三十三間堂」となっている。この展覧会は翌1996年7月、ヒューストン現代美術館、同年9月、群馬県伊香保のハラミュージアムアーク、1998年4月にアメリカ、オハイオ州のアクロン美術館に巡回している。そして、現在開催中の京都市京セラ美術館「杉本博司 瑠璃の浄土」では「仏の海」のためにひとつの展示スペースを割り当て、中尊像を中心に置き、48点に収められた千躰仏のうち18点が展示されている。

また、1997年に写真集『SEA OF BUDDHA BY HIROSHI SUGIMOTO』がSONNABEND SUNDELL EDITIONS(アメリカ、ニューヨーク)から出版されている。通常の製本だと見開きに作品を置くと、中心が綴じ目(ノド)に掛かるのでそれはしたくない。1ページに1カットずつ置けばそれはなくなるが、たとえば見開きで2カットだと全体の連続性が失われる。そこで経文折とか蛇腹折に近い折り方(単なるジグザグ状に折るのではなく、一面ずつが裏の端が糊付けされ連続につながっている)の製本を杉本自身が指示して作られた。

『SEA OF BUDDHA BY HIROSHI SUGIMOTO』SONNABEND SUNDELL EDITIONS 1997年

『SEA OF BUDDHA BY HIROSHI SUGIMOTO』SONNABEND SUNDELL EDITIONS 1997年

一千部の限定出版ですべてにナンバリングがしてある。千躰仏を一千部の本にするということは百万体の仏像が印刷されることになる。これも杉本の意図したことで、奈良時代に称徳天皇(孝謙天皇の重祚)が、100万基の木製の小塔に、陀羅尼経を納めた百万塔を奉納した故事に倣ったのだという。ちなみにその陀羅尼経は日本最古の印刷物といわれる。

展覧会「杉本博司 瑠璃の浄土」は京都市京セラ美術館の新設された展示棟「東山キューブ」に杉本が仮想する寺院を構築するという趣旨で構想されている。美術館のある岡崎はかつて、法勝寺という大寺院があったということも発想のもとになった。キーワードは「瑠璃」と「浄土」。瑠璃。つまり仏教の七宝のひとつラピスラズリ、そこから転じて濃い青色、そしてガラスのことでもある。浄土。疫病や戦乱が続く不安な平安時代。白河上皇から後白河上皇の時代、末法思想が広まれば、皇族、貴族の間には阿弥陀信仰など、仏教への熱が高まる。すぐれた仏教美術が創造されることになる。三十三間堂はその最たるものだ。

さて、この展覧会にはもうひとつ、大型の写真作品が展示されている。新作の「OPTICKS」シリーズである。「ジオラマ」「劇場」「海景」「ポートレート」「建築」など杉本の写真作品は大判カメラによる精緻なモノクロームだが、この「OPTICKS」は色鮮やかなカラー作品である。色面だけで構成されているが、ほぼ単色のようにみえるものから、闇(色のない部分)と色の組み合わせだったり、違う色の組み合わせのようなものもある。


これはプリズムで分光し、さまざまな色に分けられた光を撮影したものだ。プリズムに太陽光を通すと鮮やかな色彩が現れることは、現代の我々は知識として知っている。それは近代物理学の礎を築いた英国の科学者、アイザック・ニュートン(1642年 – 1727年)が発見したものである。杉本は東京都内の自室の壁を漆喰で仕上げ、ある地点にプリズムを置いた。冬至のころの前後の早朝、東の空からの光をプリズムに通すと壁には色彩の帯が現れる。その色をポラロイドカメラで撮影し、一旦、デジタル処理をして、一般的なカラープリント出力をした。

以前から杉本は写真史、とくに、ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(1787年 – 1851年)やウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット(1800年 – 1877年)らが功績を残した黎明期の写真に関して研究してきた。タルボットの遺した紙ネガを入手し、それをもとに制作した作品もある。そういう研究をしていくと、ニュートンによる光学の研究に行き着く。やはり、初めに光ありき、なのである。

杉本博司

「写真というのはなんらかの光で世界を撮るわけだけれど、『OPTICKS』は世界を飛ばして、光そのものを撮るという仕事なんです。色面だけです。絵画というのは光があたった対象を描くわけだけれども、抽象画だとそういう対象は無しに、抽象的にしていったもの。それをさらに絵具を使わないで、光で色を写すというのは、色に対峙して、省略が進んでいるともいえます。より純粋性が強いといってもいいと思います」

京都市京セラ美術館でのプリズムのプレゼンテーション。

京都市京セラ美術館でのプリズムのプレゼンテーション。

太陽の運行は意外に早く、どんどん昇っていく。プリズムの角度を調整し、ときに大きな鏡に反射させて、漆喰壁に写し、それをポラロイドカメラで手際よく切り取っていく。次から次に、大量に。その一部が大きく引き伸ばされ、作品になる。均質な色面かと思うと、端の方だけ少しだけグラデーションがついていたり、その微細な変化に目を留める。人間の手では作り出せない、自然のしかも一過性のものの美しさとでもいうものを感じられる。展示では各作品は水平にではなく、高さを変えて展示されているところもある。

「撮ったあとで見てみると、同じものはひとつもない。そして、これは良いというものがある。色面として美しい最高のものを選んで作品として展示をすることにしました。同じ青でも比べればどっちの方がどっちの方よりいいとなってくる。あえて段差をつけたのは、たとえば、真ん中に三原色を置くとか、そういう試みでした。いつか巨大な壁面でアブストラクトにランダムに飾るというのをやってみようと思っています。弧形の白い大きな壁を立てて、内側に『海景』、外が『OPTICKS』。高いところにも低いところにもこの色面が置いてあって、そういう構図で見せられるといいかなと」

photo/ Yoshio Suzuki

photo/ Yoshio Suzuki


この「OPTICKS」を撮り始めたころ、杉本のアトリエをエルメスのアーティスティックディレクターのピエール=アレクシー・デュマが訪れた。そのときのことをデュマはこう綴っている。

「私はその美しさに目がくらむと同時に、このプロジェクトの知的な野心にも驚きを覚えました。すなわち色彩の原点を探る――つまり、光の分解、分光の獲得、そして色彩が人間の感情に及ぼす影響を分析する、というニュートン、さらにはゲーテの科学的実験にインスピレーションを得たプロジェクトでした。光のスペクトルという具体的な現象は、杉本氏によって限りなく抽象的な画像という形で実体化され、高められたといえるでしょう」(『HIROSHI SUGIMOTO COULEURS DE L’OMBRE』エルメス 2012年)

『HIROSHI SUGIMOTO COULEURS DE L’OMBRE』エルメス 2012年

『HIROSHI SUGIMOTO COULEURS DE L’OMBRE』エルメス 2012年

『HIROSHI SUGIMOTO COULEURS DE L’OMBRE』エルメス 2012年

『HIROSHI SUGIMOTO COULEURS DE L’OMBRE』エルメス 2012年

『HIROSHI SUGIMOTO COULEURS DE L’OMBRE』エルメス 2012年

『HIROSHI SUGIMOTO COULEURS DE L’OMBRE』エルメス 2012年

『HIROSHI SUGIMOTO COULEURS DE L’OMBRE』エルメス 2012年

この感動と驚きは、エルメスの限定版のアーティストカレシリーズとして結実する。エルメスはこの画像をスカーフに転写するために大規模な設備投資をしたのだという。そのスカーフを購入すると、同梱される作品集『HIROSHI SUGIMOTO COULEURS DE L’OMBRE』にこの文章は収められている。(「OPTICKS」シリーズは当初、「COULEURS DE L’OMBRE」[影の色]と名付けられていた)

意外にもこの杉本による色彩の表現を捉えた作品は、エルメスとのコラボレーションの形でまずは世に出て、杉本作品としては、今回「OPTICKS」という名で、美術館での発表となった。展覧会には、アイザック・ニュートンが光学の研究をまとめた著書『OPTICKS: A TREATISE OF THE REFLEXIONS, REFRACTIONS, INFLEXIONS AND COLOURS OF LIGHT(光学、すなわち光の反射・屈折・回折・色についての論考)』の初版本(1704年)が展示されている。数年前、杉本がオークションで入手したものだそうだ。

アイザック・ニュートン『光学』初版 1704年。photo/ Yuji Ono

アイザック・ニュートン『光学』初版 1704年。photo/ Yuji Ono

「浄土思想」も「近代科学」も。杉本は研究し、それを作品にして、我々の前に提示してくれる。宗教と科学、一見、背反するテーマのように見えるかもしれないが、そうではない。杉本が追うさらに、上位のテーマは「人の意識はどのように生まれ、形成されたのか」というものだ。それが具体的に投影されたものが、宗教であり、科学だからである。

タイトル

京都市京セラ美術館開館記念展「杉本博司 瑠璃の浄土」

会期

2020年5月26日(火)~10月4日(日)

会場

京都市京セラ美術館(京都府)

時間

10:00~18:00(事前予約制)

休館日

月曜

観覧料

【一般】1,500円【大学・高校生】1,100円【中学生以下】無料

URL

https://kyotocity-kyocera.museum/

杉本博司|Hiroshi Sugimoto
1948年東京生まれ。1970年渡米、1974年よりニューヨークと東京を行き来しながら活動する。活動分野は写真、彫刻、インスタレーション、演劇、建築、造園、執筆、料理と多岐にわたる。一貫して歴史と存在の一過性をテーマとし、そこには経験主義と形而上学の知見を持って、西洋と東洋との狭間に観念の橋渡しをし、時間の性質、人間の知覚、意識の起源を探求してきた。代表作に「海景」「劇場」などがある。2008年に建築設計事務所「新素材研究所」、2009年に公益財団法人小田原文化財団を設立。2017年10月には小田原文化財団<江之浦測候所>を開館。1988年毎日芸術賞、2001年ハッセルブラッド国際写真賞、2009年高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)受賞。2010年秋の紫綬褒章受章。2013年フランス芸術文化勲章オフィシエ叙勲。2017年文化功労者。