14 January 2021

セクシャルマイノリティ、体外授精、障害……岡部桃が写真集『イルマタル』で紡ぐ「叙事詩」

14 January 2021

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セクシャルマイノリティ、体外授精、障害……岡部桃が写真集『イルマタル』で紡ぐ「叙事詩」 | セクシャルマイノリティ、体外授精、障害……岡部桃が写真集『イルマタル』で紡ぐ「叙事詩」

18歳で「写真新世紀」の優秀賞として荒木経惟に選ばれた早熟の写真家・岡部桃。キャリア初期からすでに確立された世界観と表現力をもって、独自の道を貫きながら、着実に作品を発表してきた。2014年に刊行された写真集『BIBLE』(session press)でひとつの結実を見せ、翌年にはFoam Paul Huf Award2015を受賞。アムステルダムFoam Museumでの展示は話題を呼んだ。一度目にしたら忘れることのできない写真群は、中毒性を持った食べ物のように観る者を虜にする。彼女の愛する生々しく、痛々しくも切ない被写体が鮮やかな色相をまとって新たなイメージとして現れる時、私たちはその幻想世界における共犯者になる。『BIBLE』から6年を経て、妊娠・出産を経た彼女が撮りためた作品をまとめた写真集『イルマタル』(まんだらけ)を刊行。ほとんど姿を見せない寡黙な写真家が、渾身の1冊を自らの言葉で語った。

若山満大=インタビュー・文

体験としての『イルマタル』

岡部桃の『イルマタル』は、黒いレザークロスのハードカバーで147点の写真を包んだ、重厚な1冊である。表紙には、デボス加工とゴールドの箔押しで紋様が描画されている。その真ん中にひときわ印象的に配された逆三角の形象は、女性器を連想させなくもない。

乳房と男性器の両方を具えた人物のヌードから、本書は始まる。次のページでは短髪で体格のいい裸の男性が二人、ベッドの上で重なっている。一方の男性の左手は、もう一方の男性の肛門付近を撫でている。ページには全体に青色が被り、日本人であろう二人の黄色い肌が妙に際立って見えた。隣のページには、乾いた岩肌にくっついたカタツムリの写真があり、全体にきつい赤が被っている。

セックスする男女の結合した性器、カメラに向かって視線を送る裸の男性たち、車椅子に乗った脳性麻痺の男女、結婚式の写真——さまざまな人の姿が写る。それらと隣り合うように配されるのは、海岸に打ち上げられて死斑の浮いたサメの遺骸であり、多肉植物の隙間から這い出た蜘蛛であり、湿っているとも乾いているともつかないゴミ溜めの廃棄物であり、匿名的な風景である。


脈絡が無い。しかしというべきか、ゆえにというべきか、とにかくページを繰るたびに緊張と動揺があった。赤・青・黄が被ったイメージがリズミカルに連続していくのとは裏腹に、認知的な不協和がページを繰る手を止める。

本書の半分を繰り終えた頃、唐突に、体外受精を行う医療現場の写真が現れる。それはほかならぬ、岡部自身が経験した生殖補助医療のプロセスである。採卵しているまさにその光景、顕微受精を確認するモニター、凍結装置。晴れて着床が成功し、妊娠した岡部自身の身体的変化の記録。エコーによって可視化された胎児の姿。そして、出産の場面が写される。女性器の裂け目から、胎児の髪の毛が見える。取り上げられた赤ん坊。見開きにそれと併置されたイメージは、海である。


みんなで生きていくために

「自分自身の物語であり、現代の叙事詩を作ってみたいと思いました。この写真集は、2012年から2019年までの6年間に撮影した写真をまとめたものです。特にテーマを決めて編集を始めたわけではありません。撮りためた写真を眺めるうちに、物語が見えてきました。それがまるで寓話みたいでおもしろいなって」

岡部は、自分の性的指向を非性愛(ノンセクシュアル)であると公言している。

「性交渉を経ないという意味で、私の妊娠は“処女懐胎”みたいなものだなと思ったんです。調べてみると、性交渉を経ずに女性だけで妊娠・出産する神話や民話は世界中にありました。写真集のタイトルにもなっている『イルマタル』は、フィンランド叙事詩の『カレワラ』に登場する『大気の娘』の名前です。この物語の中でイルマタルは海に降り、風に吹かれることで身ごもります」

体外受精のプロセスに処女懐胎の物語を重ねつつ、岡部は「自分自身の物語」を編集する。同時に、本書は「現代の叙事詩」であると彼女はいう。叙事詩とは、ある出来事の叙述である。エリアス・リョンロートが民間説話を編纂した『カレワラ』がフィンランドの独立を後押ししたように、叙事詩は集団のアイデンティティの拠り所になりうる。彼女がいう「現代の叙事詩」とは、現在以降を生きる“私たち”の総体を形作るための物語であると理解される。彼女はそれを「みんなで生きていくための物語」ともいった。


いわゆるセクシュアルマイノリティであれ、障害者であれ、生殖補助医療を受けた家族であれ、岡部が本書に写すのは、自身を含めた「少数者」の姿である。しかし、直ちに付言すべきは、岡部が「少数者」という枠組みに特定の人々を当てはめ、彼/彼女らを同情や憐憫を以って写しているわけではないということである。

「写真は、自分の見たい世界を見せてくれるので好きです。私が撮る人たちの中には、いわゆるマイノリティにカテゴライズされる人もいます。でも私は、その人がマイノリティだからとか、生きづらさを抱えているとかいう理由で撮っているわけではありません。むしろ、そういうカテゴリや同情には興味がない。私がその人たちを撮るのは、私が彼や彼女を美しいと思ったからです。その美しさに気づいてもらえたら嬉しい。もちろん解釈は人それぞれだと思いますが」

岡部が「見たい世界」。そこに写された人々の「その」美しさを、私たちはどのように処遇すべきか。それが本書を読むときに突きつけられる問いである。写真を介して、自他のあいだに対称性を取り戻すことができるか否か。本書は、私たちが「現代の私たち」の枠組みを更新していくことを促す。


公序から逸脱と帰還

「写真を始めたのは荒木経惟さんの影響が大きかったと思います。中学生のときに、図書館で『センチメンタルな旅・冬の旅』(1991年、新潮社)を手に取りました。こんなにも赤裸々に、全てを撮ってしまってもいいんだっていう驚きがありました。普通、家族が亡くなる時やお葬式の最中はカメラを向けられないじゃないですか、不謹慎だから。でも何が間違っているかなんて、本来は誰にも決める事はできないですよね。荒木さんのように社会ではタブー視されていることを敢えて表に出すことも、ある意味でとても正しいことなんだって思えたんです」

岡部は高校で写真部に入り、そこで写真を始める。そして3年生の時、荒木経惟に見出され「写真新世紀」で受賞した。本書に至るまで、岡部の写真には荒木作品との類似点をいくつか見い出すことができる。しかし決定的な違いをあげるとすれば、それは男/女やロマンティックな何かといった、性愛に関する従来的な規範の有無であろう。岡部の写真は、というより岡部の人間に対する愛情は、荒木よりも博い対象範囲に向けられているように思われる。もしくは、岡部の方が性愛に対する執着が少ないといってもいい。いずれにせよ、岡部が写真を通じて愛情を表現する対象は博い。そしてその愛情は、過度に熱く湿気ったものではなく、適度に冷めて乾いている。

印象的な見開きがあった。左には廃棄された機械部品、右には岡部の胎内から摘出された胎盤が載っている。機械部品は、平たい箱からチューブが突き出たよう形状をしている。胎盤は赤紫色の重たい袋のようで、切れたへその緒が付いている。二つは形態的に似ていた。果たして岡部は次のように話した。「女性の体は産む機械だなと思って」。本書のあとがきでも、彼女は「子宮という装置から赤んぼうを産み落とした」と綴っている。ロマンティックなき生殖の形容である。

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以前、当時現職の厚生労働大臣が岡部と同様の語句を使って強い批判を浴びたことがあった。女性の体を「産む機械」と認識することの善悪や適否はここで問題にするつもりはない。ここで言及したいのは、その認識が一定程度「公序」に反するということである。生殖補助医療を利用して、性交渉を経ずに妊娠・出産した自身を指して、岡部は「処女懐胎」のようだといい「産む機械」ともいう。それは男女によるロマンティックな性愛、あるいはその帰結としての妊娠・出産という概念を相対化する。

荒木経惟がそうであったように、岡部もまた、ともすれば社会が忌避するところへ積極的なアプローチを試みる。公序の際に立ち、一時その外へ遊歩しては、また公序の内に帰還できる技術を持つ人を(少なくとも筆者は)アーティストと呼ぶ。アーティストは余人よりも無秩序に近い場所にいる。公序の外に片足を置きながら、尚もって公序の内に生きている。岡部が本書をして示した「公序の外から持ち帰ってきたもの」を、私たちはどう理解できるだろうか。ロマンティックなき性愛、ロマンティックなき生殖、人類の生産活動の一つとしての生殖。「非情」な行為から産まれる愛すべき生があるということを、いかにして自分の中に位置づけることができるだろうか。

公序もまた、ひとつの必要悪であり、仮設的な枠組みに過ぎない。であればこそ、私たちは公(≒みんな)という概念を更新する可能性を常に有している。本書は「みんな」を更新するための叙事詩である。特別な生など無い。みんな一様に取り留めもない存在であり、こういってよければ各々異なる「せつなさ」を抱えた存在である。本書を読んだとき、筆者はおよそそのように「みんな」を理解し直した。そして自分もまた、取り留めもない「みんな」の一人なのだと理解した。

タイトル

『イルマタル』

出版社

まんだらけ

出版年

2020年7月15日

価格

10,000円+tax(限定版A:45,000円+tax/限定版B:35,000円+tax)

仕様

ハードカバー/325mm×257mm/152ページ/限定500部/プリント付き限定版A 20部/B 30部

URL

https://www.mandarake.co.jp/publish/okabemomo/index.html

成山画廊限定版
作家本人によるオリジナルプリント付き
8×10(203×254mm)/サイン・エディション入り/20部/全20種
特別価格:60,000円+tax
問い合わせ先:成山画廊
http://www.gallery-naruyama.com

2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。

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