―作品の多くがアイスランドに着想を得ていますが、19歳のとき、同国を最初に訪れたきっかけを教えてください。
実は私にもわかりません。8歳のとき、ケネディ大統領の暗殺で初めてニュースというものの存在を知りました。ずっとテレビで流れていたこの報道の傍ら、アイスランドの南西に誕生した島のニュースを聞き、興奮したことを覚えています。空撮された映像では、海から煙が立ち上がり、数日後には新しい島が現れました。アイスランドに対する印象をこのニュースが強めたかは定かではありませんが、この土地に関する私の最初の記憶です。
19歳で大学を卒業したあと、初めて出かけた海外旅行先がアイスランドでした。島であること、そして当時15万人程度だったと思いますが、非常に人口が少ないという事実に惹かれたのです。ここ以上に面白い場所はない! と考え、この島の自然と孤立感を肌で感じられるのが楽しみでした。
―ケワタガモの羽毛を採集している夫婦が登場する作品「Pi」[円周率](1997/2004年)は、アイスランドで6〜7年かけて制作されました。少し目線より上の位置に、ぐるっと一周、輪のように展示された作品を部屋の中心から見せることで、時空間の概念とシークエンスの見方を手引きしているように思えます。どうやってこのアプローチを思いついたのですか?
少しいい方を変えましょう、会場でぐるっと見回すような構成にしている理由は、この作品が循環している出来事の集合体を表しているからなのです。最初のきっかけは、まず地理的に北極圏とされている場所を撮影することでした。そして本作の被写体となったビヨルン&ヒルダ夫妻に出会い、飼育場でケワタガモが胸の羽根で作って捨てた巣を彼らが収集するという流れも、ひとつのサイクルとして作品に加わったのです。彼らと過ごした時間の中で、子どもの頃テレビを見ていなかった私は『Guiding Light』というホームドラマを初めて知りました。毎日夕方5:00になると、彼らは仕事を終えてテレビを観る習慣があったので、私も二人を見習うことにしたのです。『Guiding Light』の冒頭で、灯台の回転する光を映した素晴らしいシーンが流れます。彼らの所有地にも灯台はありましたが、ドラマの映像のほうがよかったので、テレビ画面の複写をシリーズに追加しました。これもまたひとつの収集です。
アイスランドの長い滞在期間中に、さまざまな鳥の生態とその生命の循環を目の当たりにしました。そこで死んだ鳥、そして生きている鳥の群れも撮影しています。また、画面が上下半分に分割される地平線の写真を、シリーズに一体感を出すために散りばめています。アイスランド固有の動物たちの正面からのショットはすべて剥製ですが、どことなく滑稽に見えますよね。
「Pi」[円周率](1997/2004年)© Roni Horn
―ではアイスランドからの流れで、あなたの重要なテーマである「水」について聞かせてください。水は人の生活の基盤ですが、脅威にもなりえます。日本も島国としての豊かな水の恩恵を授かりながら、津波などの天災にも見舞われることがあります。あなたの作品には、この水という存在がもたらす複雑なパラドックスがしばしば垣間見えます。水への興味は、どのようにして生まれたのですか?
水が私に歩み寄ってきた!ように感じます。水について、心の中で概念的な長い旅を続けてきました。おっしゃる通り、パラドックスとエロチシズム、純粋で恐ろしい暴力性と官能性のすべてが水という存在に集約されています。加えて、果てしなくあふれ出す謎。例えば、多種多様なモノと接触しているのに、なぜここまで透明でいられるのか? この不思議な矛盾が水の本質を物語っていると思います。私にとって水は動詞であり、常に何かしらに触れている「つながる」行為を示していると考えています。
―水といえば、 テムズ川の表面を定点観測的に撮影した15点の写真シリーズ「Still Water (The River Thames, for Example) 」[静かな水(テムズ川、例として)](1999年)がありますが、この作品はどういうきっかけで生まれたのですか?
テムズ川のプロジェクトは、コミッションワークでした。まず川を見に行って、ゾッとしましたね!そこからリサーチを始めました。当時あそこは、外国人の自殺者が世界中で最も多い川でした。その事実だけでも興味を引かれたのですが、警察のレポートにあった目撃者の証言も非常に刺激的でした。「Another Water (The River Thames, for Example)」(2000年)では、この証言をもとにデッドボディレポート(死体報告書)を作成しました。どれを読んでも痛切です。読み進めると、多くの人がさまざまな方法で自らの命を絶っていることがわかりました。動けないよう自分を椅子に縛り付けていたり、後から埋葬してもらえるようお金を結びつけていたり。でも、この川が特殊なのは、堤防と潮が起こす強い流れによって、一度落ちて沈んだら二度と浮かび上がらないという点です。ハドソン川やセーヌ川とは違う。自殺を試みるには最適の選択肢にさえ思えます。また、殺人も多く、報告書には想像を絶する数々の事件がつづられていました。
「Still Water」の制作時、19世紀のテムズ川に関する文献も調べました。下水が流れ込むため、近寄れないほどの悪臭を放つ汚水だったそうですが、浄水された後の現在でさえ汚く、毒々しく見えます。でもなぜか、水というだけで誰もが近づきたくなるのです。同じ流れを二度下ることはできない。それが川のきわめて独特な一面です。テムズ川は湖でも海でもなく、川。湖に何か投げ入れてもその場にとどまりますが、川では消えてなくなります。消失することは、死とはまた別の概念です。テムズ川で自殺する人は、単に死にたいのではなく、消え去りたいのでしょう。
「Still Water (The River Thames, for Example) 」[静かな水(テムズ川、例として)](1999年)© Roni Horn
―確かに暗い歴史ですね。「Saying Water」「Still Water」「Another Water」など、テムズ川を起点にさまざまな視点や制作を展開されていますが、この柔軟で包括的なアプローチを、どのように構築したのですか?
テムズ川を見たとき、直感的にアイデアが浮かび、川に脚注をつけることにしたのです。このテキストが重要な素材となりました。テキストは反復的な詠唱で言葉の意味を入れ替えながらも、結局は同じ解釈にたどり着きます。
テキストには曖昧さが必要だったので、まず全体の80%を撮影前に書き、イメージを仕上げてから内容を更に発展させました。「Still Water」では、写真の下に脚注を入れており、よく見るとイメージの中には小さく数字が振ってあります。そこからビジュアルを使わず、暗い部屋で語られるモノローグという形にたどり着き「Saying Water」が完成しました。2011年に書籍化した『Another Water』は、帯のように連なった脚注と死亡記事が挿入された1冊となったのです。
―絵、写真、彫刻など幅広いメディアを作品に用いながらも、考えをまとめるひとつの方法として、多くの本も制作されていますよね。
シンプルに作品をまとめた本がほとんどですが、写真や彫刻に近い制作プロセスで、自分のインスピレーションをもとに制作したアーティストブックは10冊くらいでしょう。残念なことに、このアイデアは思いつくのではなく、私のもとに降りてくるという感覚です。一番最近出版したのが、制作中に思い浮かんだ言葉を描いた水彩画シリーズ「Remembered Words」という作品をベースにした『Remembered Words—A Specimen Concordance』(2019年)です。この画集が完成したとき、絵に記していた言葉をアルファベット順にリスト化しました。このリストが印象的で、一種の自伝にも思えたのです。
完成させない作品、人生を通して発展できるような制作をしたいとずっと考えていました。それを実現したのが1990年から現在進行形で制作中の「To Place」(1989年〜)。2011年で10冊になった、私とアイスランドの関係を編纂したコレクションブックです。完成しないので、最終的に何が出来上がるかわかりませんが、一冊追加するたびに、より不完全になっていくような気がします。
「To Place」(1989年〜)© Roni Horn
―水のようなガラスの彫刻作品についてもお聞きしたいです。ガラス彫刻は熱を使って制作されていますが、水や冷たさも想起させますね。火と水は相互作用しつつ、正反対であることに気づかされます。あなたはよく、相反しながらも融合できうる素材を複数組み合わせ制作されていますが、この思考を制作プロセスにも取り込んでいますか?
もちろん。このガラス彫刻は、私がこのために開発した新技術で作られています。ガラスの原料となるのは超冷却された液体なので、流動的な性質を保ちながら固体化するオブジェを作りたかったのです。一見すると皆が水だと思い込んでしまって、何が入っているのかよく聞かれます。でもそれは、この固体が最も透明な物体であると感じたからこそで、私にとってはそれで十分です。タネも仕掛けもないのに鑑賞者は疑念を抱きます。政治でもなんでもそうですが、透明化しても確証には直結しません。逆に透明すぎるからこそ、疑いを生むこともあります。これが人の性なのでしょうか。
© Roni Horn
―そうですね。ニューヨークで作品を見たとき、私は一見濡れた化石だと思いました。不可解ですが、濡れている未知の生物だと。そこには広大無辺な精神世界が映し出されているように感じました。最初はこの崇高な美しさに近寄ることさえ躊躇したのに、近づくと触れたい衝動に駆られ、水の中に溶け込みたいとさえ思いました。そこではガラス彫刻の表面に同じ展示室の作品が映り込んでいましたが、周辺の空間との関係はどう考慮されているのでしょうか?
この透明なオブジェは、多くのパラドックスが凝縮された作品だと考えています。典型的な美も、鑑賞者を作品の深層に呼び込む要素です。鏡や静かな水面のように引き込まれる感覚が、鑑賞者が読み取るナラティブとなります。ガラスが好きな理由のひとつは、光が情景の一部として加わると、見る側の視覚が左右されることです。決して不動ではないということ。スタジオでこのガラスを、一度月明かりで見たことがあります。暗闇の中で、光の溜まりが作品の下に現れて感動しました。
―それはぜひ見てみたいですね。人間の力が及ばない自然と一体化させて作品と共生させるために、設置の際意識したことはありますか?
「Air Burial」[鳥葬](2017〜2018年)が唯一の屋外作品です。正直なところ、90%の屋外作品は、屋外に置かれるべきではないと考えています。外に置く作品は持続可能な作品であるべきで、その条件が達成できなければ無意味です。「Air Burial」は、希少な技術の産物を雨風にさらす、という潔さが気に入っています。ガラスは有機物なのでその場所に害を与えず、自然に少し手を加えたにすぎません。「Air Burial」が崩れ落ちるのを見るのが、いまの夢ですね。
「Air Burial」[鳥葬](2017〜2018年) © Roni Horn
―多くの場合、像や彫刻は支配力のシンボルであり、共生ではなく威圧感を感じます。周りの環境を支配しようとするものがほとんどですが、「Air Burial」は自然と共生しているように見えます。化石のように。
そう、化石のように!その表現がぴったりです。
―タイトルも気になるのですが、ガラスの彫刻作品は「Untitled」[無題]でも、それぞれに詩の一節のようなタイトルがついていますね。
はい。子どもの頃から、本、映画、ラジオ、新聞など、あらゆるところから引用文を集めてきました。作品とは関係ない引用文をタイトルにするアイデアが気に入っています。タイトルは鑑賞者が、強い影響を言葉から得られる束の間の時間ですが、それだけでいいんです。リチャード・セラは時々作品とは無関係な政治的なコメントをタイトルにしています。でもそれは筋が通っていると思っています。タイトルは作品を説明するための言葉なのに、作品の意味が損なわれることが多い。私のドローイングのタイトルには、普段重要だと思われていない言葉を生かしています。「Just(だけ)」や「Was(だった)」など、文脈がないと意味を持たない言葉です。それが面白いんです。作品とのつながりはないけど、理由付けは評論家たちがしてくれますし。
「Or 7」[または 7]のディテール © Roni Horn
―アイスランドの温泉の中で、ひとりの女性の表情を6週間にわたって撮影した「You are the Weather, Part 2」[あなたは天気 パート2](2010〜2011年)では、モデルの表情が風景のように変化していきますね。どのような意図を持って編集されたのですか?
曖昧さを強調するために、わかりやすい表情を省きました。鑑賞者にとって、わかりにくくあってほしかったのです。何が起こっていても繰り返される平静と動揺の連続的な感情の起伏を描くために、彼女の表情を天気のようなものだと位置付けました。
―最後に、今回作品を展示されている箱根について伺いたいです。箱根には火山や温泉があったりとアイスランドに似ている部分がありますが、展示作品をどうやってこの土地に調和させましたか?
10代の頃から、日本は私にとって大事な存在でした。美術館や本を通して学んできただけなのに、いつの間にか日本文化の虜になり、過去の作品にも影響を与えてきたと思います。例えばガラスの彫刻作品は、日本文化の「モノ」に対する意識と感性に間違いなく感化されています。直接的な結びつきがあるかはわかりません。でも、伝統工芸や木と鋼の扱いなど、素材が秘めるポテンシャルを見極める目と、その価値を最大限まで引き出せる日本の技術には驚かされます。ガラスの作品は抽象的ですが、そこにつながりがあると私は思います。
タイトル | |
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会期 | 2021年9月18日(土)〜2022年3月30日(水) |
会場 | ポーラ美術館 展示室1・2 遊歩道(神奈川県) |
時間 | 9:00~17:00(入館は閉館の30分前まで/混雑状況に応じて展示室内の人数を制限中) |
入場料 | 【大人】1,800(1,600)円【シニア割引(65歳以上)】1,600円【大学・高校生】1,300(1,100)円【中学生以下】無料【障害者手帳をお持ちのご本人及び付添者(1名まで)】1,000円*( )内は前売券 |
URL |
ロニ・ホーン|Roni Horn
1955年生まれ、ニューヨーク在住。写真、彫刻、ドローイング、本など多様なメディアで、コンセプチュアルな作品を制作。1975年から今日まで継続して、人里離れた辺境の風景を求めて、アイスランド中をくまなく旅してきた。この中で経験した「孤独」は、彼女の人生と作品に大きな影響を与えている。近年の主な個展は、ポンピドゥー・センター(パリ、2003年)、テート・モダン(ロンドン、2009年)、ホイットニー美術館(ニューヨーク、2009-2010年)、バイエラー財団(リーエン、2016年、2020年)、グレンストーン美術館(ポトマック、2021年)などで開催。
石野郁和|Fumi Ishino
1984年、兵庫県生まれ。2012年、ロチェスター工科大学卒業。2014年、イェール大学大学院修了。現在ロサンゼルスを拠点とする。これまでに東京都写真美術館、Fraenkel Gallery、FLAG Art Foundation、Houston Center for Photographyなどの展覧会に参加している。2017年に初写真集『Rowing a Tetrapod』(MACK)を刊行。2021年に私家版『Index of Fillers』をAssemblyとの共作で出版、またtorch pressより『TINTED LINES』を刊行。