KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2026で個展「A Burden Consumed in Sips(記憶のリハーサル)」を開催中の南アフリカ出身アーティスト、レボハン・ハンイェ。亡き母と自身を一枚に重ねる合成写真、姓の変遷と移動の歴史を照らし出すインスタレーション、祖先たちの像を布に縫い直すポートレイト。写真の撮影にとどまらない、特徴的な手法の数々は、失われた存在を呼び戻し、家族史を書き換え、記憶を生きたものとして手渡すためにあるという。写真、言語、家族史をめぐり、会場となっている東本願寺で話を聞いた。
ポートレイト撮影=齊藤幸子
取材・文=アイヴァン・ヴァルタニアン
動き続ける記憶
――《Ke Lefa Laka: Her-story》は、故人となったお母様の写真にご自身を合成した作品ですね。あなたの視点に心を動かされるのは、喪失することがただ何かを失うだけではなく、その後にも創造のプロセスが続いていくという感覚です。
レボハン・ハンイェ(以下、LK):制作を始めた当初は、トニ・モリスンの文学における「The Work of Mourning(喪の営み)」のようだと思っていました。けれど実際には、それは喪うこと以上に、記憶し続ける営みだったのです。私の作品は記憶と深く結びついています。そして私にとって記憶とは、静止したものではなく、常に動き続けているものです。肉体が失われた誰かもまた、同じように動き、今なおここに在り続けている。私はそう信じています。(編集部註:トニ・モリスン[1931-2019]はアメリカ黒人文学を代表する小説家)
――合成というスタイルにはどうやって辿り着いたのですか。
LK:最初は、母の写真の隣に自分の写真を置くつもりでした。しかし、制作が進むにつれ、それらが1枚の写真として生きるのだと考えるようになったのです。私たちは貼り付いたように、時間を超えて、共に生き続けていく。こうしてあの二重の像が生まれました。それはフランスの哲学者ジャック・デリダ(1930-2004)の語ったことにも通じています。愛する人を失うとき、それは二重の喪失なのだ、と。その人を失うだけでなく、自分自身をも失う。そこから新しい人間が立ち現れる。これは、その新しい人間の出現についての作品なのです。

Setupung sa kwana hae II, 2013 © Lebohang Kganye
――あなたのアプローチにおいて、記憶は固定されていません。写真が固定された真実を記すものではなく、変化し続ける営みとして扱われています。
LK:そこが、私の写真への関心でもあります。歴史が固定されていないのと同じように、記憶も固定されていない。すべては断片であり、そこには多くの空白があります。母のアルバムには、彼女が工場労働者だった痕跡はまったく残っていません。だからこそ、影はその先をさらに広げていくのです。
インスタレーションでは、光は段ボールの影だけでなく、展示空間に入ってくる人々の影も浮かび上がらせます。そこへ訪れた人々は、それぞれの歴史を携えている。本展のキュレーターのマリーナ・パウレンカが言うように、それは「絶え間ないリハーサル」なのです。
家族が私に物語を話してくれても、私はそれを自分自身のレンズを通して理解することになります。私はその時代を生きてはいない。だから想像力を通して受け取るしかありません。《Ke Lefa Laka: Her-story》では、母が今も存在し続けていること、そして私が母をつなぎとめようとするなかで、自分自身も変わり続けていることを語りました。私にはそれを静止したイメージとして見ることはできません。彼女が幽霊なのか、私が幽霊なのか、もうわからないのです。

姓とアイデンティティの変容
――《Mohlokomedi wa Tora》のミニチュア作品へはどう辿り着いたのですか。
LK:写真の勉強を終え、2年ほどテレビ番組の制作の仕事をしていたとき、美術セットに興味を持ちました。そこで段ボールによって、丸ごと一つの世界がつくられていると気づいたのです。それをきっかけに、家族の記憶について、段ボールを通して表現するようになりました。《Mohlokomedi wa Tora》は、スタジオでの実験を公共のインスタレーションへと着地させた最初の作品です。家族アルバムを幻想と想像の空間として捉え直し、ポップアップ絵本や影絵劇と結びつけて考えはじめたことから、ジオラマという形に至りました。

レボハン・ハンイェ「記憶のリハーサル」東本願寺 大玄関 Presented by DIOR ©︎ Kenryou Gu-KYOTOGRAPHIE 2026
――《Mohlokomedi wa Tora》は、姓の調査から生まれた作品だと伺いました。
LK:2010年に母が亡くなってから、私は家族史を調査し続けてきました。特に「Kganye」という、「光」を意味する姓について。祖母と私の姓は、同じ姓なのに綴りが違っているのですが、さらに家系の枝分かれによって、4種類の綴りがあることがわかりました。そこで私は南アフリカ各地を巡り、親族を訪ね、姓の変遷や家族史について聞き取りを始めたのです。
本作は、家族が南アフリカ各地に暮らしてきた痕跡そのものです。それはアパルトヘイト、強制移住、有色人種の移動制限の歴史につながっています。インスタレーションの中央の光を灯台に見立てて表現しているのは、変わり続けるアイデンティティと家族構造。その空間に人が入ると、回転する光にその人の影も投影される。つまりそれ自体が、アイデンティティも移り変わっていくということなのです。
《Keep the Light Faithfully》はそこから派生した作品です。前作で光をテストしているうちに、私は灯台守について調べ始めました。すると、ヨーロッパやアメリカには、少なくとも700人以上の女性灯台守の名が記録されていたんです。私は南アフリカ沿岸を旅し、いまも勤務している灯台守たちに話を聞きました。とはいえ、多くの灯台はすでに運用を終えているのですが。この作品は、彼らの語ってくれた物語をもとに構成し、私は、一人の女性灯台守を想像して演じました。なぜなら、南アフリカには女性の灯台守が存在しなかったから。
本展で唯一、家族史を直接扱っていませんが、口承の歴史と写真の継承、記憶を演出し直すこと、語られたことをもとに新たな人物像を立ち上げること。そうした点で、他の作品群とつながっています。
――《Mosebetsi wa Dirithi》は、布と紙の切り抜きや縫い合わせによって作られたポートレイトなのですね。
LK:これは今も続いているシリーズで、2022年に始まりました。作品名は「影の仕事」あるいは「影の営み」という意味で、今回の展示作品の多くは、私の母語であるセソト語のタイトルを使っていて、2012年から続けている家族史のリサーチがもとになっています。ポートレイトは集合写真から抽出したごく小さな写真で、その多くが先祖です。これは《Ke Lefa Laka: Her-story》と同じく、先祖をある種不死化する試みであり、人は去らず留まり続けているという信仰に通じています。

レボハン・ハンイェ「記憶のリハーサル」東本願寺 大玄関 Presented by DIOR ©︎ Kenryou Gu-KYOTOGRAPHIE 2026
――「縫う」という行為は、何を意味しますか。
LK:「記憶のリハーサル」という本展のタイトルが、まさにそれを語っています。そこには、絶え間ない回帰があり、つなぎとめ続けようとする試みがあります。私にとってこの制作は、失われてもなおつかもうとする行為そのものです。断片的な記憶もまた、大きな要素を占めています。小さな写真の像を取り出し、それをより大きな姿へと作り直していく。この作品は、歴史を書き換えようとする試みでもあります。とりわけ家族史は、しばしば女性たちの存在をとりこぼしてしまう。その不在への応答として、この作品は生まれました。
言語を手がかりに祖先へ回帰する
――写真家ではなく、小説家になると思っていた、とおっしゃっていましたね。
LK:いつも「写真のほうが私を選んだ」と言っています。18歳になるまで、写真が職業になりうるとは知りませんでした。物語ることが好きだったので、自分は小説家になるものだとずっと思っていたのです。写真に向かったのは、もっと後のことでした。ジャーナリズム系の大学にも、文章を学ぶための大学にも入れなかった後、私はマーケット・フォト・ワークショップに通いました。亡き写真家デイヴィッド・ゴールドブラットが創設した学校で、アパルトヘイト下に、有色人種の人々が自らのコミュニティを記録するための技術を身につけられるよう始まった機関です。
私は、写真というメディアに執着しているわけではありません。イメージは作品の一部ですが、それが最終的に写真という形になるかどうかは、私にとってそれほど重要ではないのです。
――アフリカ文学との出会いは、学ぶ時期としてはずいぶん遅かった、と。
LK:はい、アフリカ文学がカリキュラムに組み込まれたのは、かなり後になってからです。しかも教育制度のなかでは、私たちは自分たちの母語を話すことを許されていませんでした。11もの公用語があるのに、教育で使われるのは英語とアフリカーンス語だけ。だから、私は作品タイトルをセソト語へ戻すようにし続けているのです。

レボハン・ハンイェ「記憶のリハーサル」東本願寺 大玄関 Presented by DIOR ©︎ Kenryou Gu-KYOTOGRAPHIE 2026
――セソト語に固有の人格や、ものの見方のようなものはあるのでしょうか。
LK:考えたこともなかったのですが――私たちはほとんど複数形で話します。英語の なら “How are you?” と言うところをは、セソト語では “le kae”。個人への「あなたはお元気ですか」ではなく、「みなさんはお元気ですか」に近いですね。厳密には “o kae” で、“o” が「あなた」、“le” が複数形です。そこには複数の人に――そして祖先にすら――語りかける要素がある。「一人ではない」という認識に近いです。
――セソト語には、作品を別の文脈で提示するときの手がかりとなる考え方はありますか。
LK:南アフリカの写真家、サントゥ・モフォケンの著書に『Chasing Shadows』という本があります。彼は写真との関係のなかで「影」について語っていて、私が大きな影響を受けた存在です。彼もまた家族の写真アルバムへ立ち返る作家で、同じくセソト語話者でもあります。そして、言語と写真の関係を複雑に問い直してきました。彼によれば、“seriti”(セソト語で「影」)は、単なる物理的な影ではありません。そこには、その人の本質や気配のようなものも含まれているのです。
本展の作品はいずれも、記憶、祖先、影に立ち返るものになっています。つまりそれは、家族史と姓をめぐる、ほぼ一生のリサーチが続いているということです。
Lebohang Kganye|レボハン・ハンイェ
1990年、南アフリカ生まれ。写真、歴史、リサーチ、演劇性、自伝性、詩的表現を重ね合わせ、時として彫刻的なインスタレーションに昇華するアーティスト。ベルリン写真美術館、テート・モダン、Foam(オランダ)、LE BAL(フランス)など著名な機関で展覧会を開催。主な受賞歴にドイツ証券取引所財団賞(2024年)、ICPインフィニティ賞(2025年)、Foamポール・ハフ賞(2022年)など。作品はメトロポリタン美術館、ポンピドゥー・センター、スミソニアン国立アフリカ美術館、ヴィクトリア&アルバート博物館、パリ市立近代美術館、ヒューストン美術館、ゲティ美術館、チャゼン美術館などに収蔵されている。
| 展覧会タイトル | KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2026 レボハン・ハンイェ「記憶のリハーサル」Presented by DIOR |
|---|---|
| 場所 | 東本願寺 大玄関(京都市下京区烏丸通七条上る) |
| 会期 | 4月18日(土)〜5月17日(日) |
| 時間 | 10:00〜17:00(入場は閉館の30分前まで) |
| 休み | 無し |
| 料金 | 大人:¥1,000/学生:¥500 |
| URL | https://www.kyotographie.jp/programs/2026/lebohang-kganye/ |
