50歳を迎える今年、ピーター・ヒューゴは人生の「中ほど」から世界を見つめ直している。KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2026で開催中の展示「光が降りそそぐところ」は、23年にわたり撮影された100点超の写真で構成される大規模個展だ。父の死、子の誕生、家族の肖像、そして自身の老い。生と死のあいだにある節目をたどりながら、人として、写真家として、変化してきた眼差しについて語ってもらった。
ポートレイト撮影=齊藤幸子
取材・文=アイヴァン・ヴァルタニアン
ヘルマー・レルスキとの出会い
――今回の展示タイトル「光が降り注ぐところ」はヘルマー・レルスキの残した言葉からの引用と聞いています。ヘルマー・レルスキとは誰で、あなたの創作にどう関わっているのでしょうか。
ピーター・ヒューゴ(以下、PH):彼のことは、ベルリンでの展覧会を見るまで知りませんでした。テルアビブの自宅の中庭で、労働者を撮影したポートレイトシリーズがあって、鏡を使い、さまざまな角度から光を被写体に反射させていました。ヴィンテージプリントで、本当に魅惑的でした。そこから調べ始めたのです。ユダヤ系アメリカ人の撮影監督で、写真家でもあり、かつてのパレスチナへ移住し、その後アメリカへ戻った人物でした。(編集部註:1871年フランス生まれ、1956年没)
――彼は鏡を使って何をしようとしていたのでしょう。
PH:同じ人物を撮っているのに、光が当たる場所を変えるだけで、まったく異なる側面が現れるのです。彼は、写真の「真実性」に挑んでいました。人にはあらゆる要素があり、そのうちのどこに光が落ちるかで変わる、と。それはある意味、非人間的にもなり得ます。50もの側面を見せながらも、「本質的な真実など存在しない」と言っているように。彼の作品は、非常にコンセプチュアルでありながら、深くヒューマニスティックでもあるのです。
――1930〜50年代的な制御されたスタジオ照明は、当時のプロパガンダ写真、いわゆる英雄像を思い出させました。
PH:わかります。ドイツの写真家レニ・リーフェンシュタール(1902-2001)を彷彿とさせる美学との接点もある。ただ、パレスチナでの別の作品には、かなり厳しい表情の写真や、広角レンズのポートレイトもあります。すべてがそうした英雄的な表現だったわけではありません。あのシリーズだけが特別なのです。
親からもらったもの、親になって気づいたこと
――そして、今回のテーマに至るきっかけは何だったのでしょうか。
PH:2017年に、ドイツのクンストミュージアム・ヴォルフスブルクでミッドキャリアにおける回顧展をしたことです。自分にとっては一つの章の終わりでした。ずっと「自分は何も成していない」と感じていたけれど、作品を一堂に並べて初めて、ちゃんとやってきたのだと気づきました。ただその一方で、もっと自由で、詩的な方法で制作したくなった。作家というのは、結局のところ自分で設定した問題を解くのが仕事です。でも、そこから離れたかった。アーカイブを見返し、一枚で立ちうる写真を探し始めました。
以前なら、クライアントワークやミュージシャンとのコラボレーションを、自分のアートの領域に入れることはありませんでした。しかし年齢を重ねると、他者のために撮った写真でも、自分が作者であることに変わりはないとわかってくる。その事実を引き受けてよいのだと思えるようになりました。
――つまり今回は、23年にわたり撮りためてきた写真の断章をつなぎ直す、これまでより自由度の高い展覧会なのですね。
PH:回顧展のあと、スタジオの壁に写真を貼り出し、そこに通底するテーマを探しました。私はポートレイトの写真家なので、若さから老いへと、年代順に並べ始めた。最初の写真は、娘が生まれる瞬間でした。私の一人目の子どもが、母胎からこの世界へ出てきた瞬間です。

Kingsbury Hospital, Cape Town, 2010
――しかし、その写真は今回の展示では中盤に位置していますね。
PH:そうです。数年前に父が亡くなり、私はその臨終に立ち会いました。12歳の誕生日に、父がカメラをくれた。彼は、私を写真へ導いた人でした。キャリア初期から、彼は喜んで被写体になってくれました。妻や子どもたちは、そこまでではありませんでしたが(笑)。亡くなった後、亡骸のポートレイトを撮ってスタジオへ持ち帰り、しばらくして気づいたのです。「ああ、このプロジェクトは終わったんだ」、と。陳腐に聞こえるかもしれないけれど、始まりと終わり、人生の円環を表しています。
――親の死と向き合うことは大きな節目です。そして自分も親たちが自分を産んだ年齢に達すると、記憶を成熟した目で見返すようになります。
PH:別の視点が得られますね。以前より批判的にもなり、同時に寛容にもなる。年を重ねると、自分が親と同じ失敗をし、同じパターンを繰り返していることにも気づく。そのことは、私をより親切で、柔らかな人間にしました。
私は今年で50歳になります。中年になると活力も少しずつ衰えて、人生の折り返し地点を過ぎていきます。ゆっくり崩れていく列車事故のように生きるのか、それとも舵を取るのか。ただ同時に、若さを振り返り、老いを見据える力も得る。何度もこの言葉に戻ってしまうのですが――「よりやさしい眼差し」になるのです。

家族という肖像
――会場奥の壁にある大きな写真の中に、額装された小さな写真がはめ込まれています。
PH:大判の写真はモーリシャスで撮った、まだ1歳にもなっていない頃の息子です。壁画サイズの作品は縦3メートル、横4メートルあります。中に収められている小さな写真は妻、つまり彼の母親です。しかしそこに、何らかの対話構造を意図しているわけではなく、以前は別の写真を入れていました。この作品には、何か特別なものがある。子どもが、松林の下の何もない野原にひとり座って泣いている。とても寓話的なのです。撮影の裏話をすると、「パパはいまこの写真を撮らなきゃいけない。静かにして。泣いてって言っただろう。もっとドラマチックに。もっとリアルに!」なんて言っていたんですけどね(笑)。

Jakob in Mauritius, 2014, this was shown as wallpaper
――ソファに座る家族の写真もありましたね。
PH:このシリーズで最も古い写真で、ベネトンの雑誌『Colors』のために撮ったものです。長年こその仕事をすることで、ああいう表現方法の技術を学びました。オリヴィエロ・トスカーニ(イタリアの写真家・アートディレクター。ベネトンのキャンペーンを手がけたことで知られる)、空間の経済性——余計な情報を削ぎ落とすやり方に応えたかった。
私はある夜、とある家そのものを撮っていたんです。すると、その家に住む家族が外へ出てきて、「何をしているんだ」と言う。「家を撮っています」と答えたら、なぜかそのまま彼らのポートレイトを撮ることになりました。家族写真とは、本来自分たちが「こうありたい」と願う理想像を投影するものです。私は、その構造を少しずらしながら写しているのだと思います。
個人的なものは政治的である
――今回のKYOTOGRAPHIEに参加している他の南アフリカの写真家たちと比べると、今回の展示に選んだあなたの作品はより内省的で、静かです。2026年のいま、多くの展覧会が何らかの声明を求められるなかで、逆にそれが印象深く感じました。今日のアーティストの役割をどう考えますか。
PH:南アフリカで育つと、表現者でありながら政治化されずにいることは非常に難しい。アーネスト・コール(アパルトヘイト下の現実を記録した写真家)の系譜があり、デヴィッド・ゴールドブラットに見られる、ウォーカー・エヴァンスを思わせる静かなドキュメンタリーの流れがあり、さらにザネレ・ムホリのように、身体そのものを闘争の場として提示するアプローチもある。そうした領域で作品をつくることが、ある種当然とされていました。
でも私は次第に、個人的なものもまた政治的なのだと気づいた。以前のシリーズでは、写真というメディアの真実性や、その表現方法に関心があったのですが、父が最初にカメラをくれたとき、自分が何に惹かれていたのかへ立ち返りたくなったのです。
思春期の放浪欲に背中を押されるように、外へ出ていくこと。あらゆるものが媒介され、管理された社会の中へ入り込み、それを問い直すこと。世界の只中に身を置き、何かの重要さ、美しさ、不正義、あるいは感傷的な愛着を覚えたからこそ写真を撮ること。写真そのものが、すでに十分で、ギミックはいらない。キュレーターに説明するための文章も、必要ないのです。
――現在は女性写真家にも、自身のアイデンティティを作品へ織り込むことが、一種の声明として求められる圧力があります。
PH:それでは表現の幅を狭めてしまいます。数年前、マシュー・ブラント、マルコ・ブロイアー、アリソン・ロシターを南アフリカに招きました。南アフリカには、クラフトやプリントの物質性に関心を持つ作家がほとんどいなかったからです。誰もが「社会正義を語らねばならない」と言っていました。私は、もっと議論の幅を広げられないかと思ったんです。私が若い頃、写真展といえばフォトジャーナリズムでした。ニュアンスなど存在せず、そんなものは軽薄だと見なされていたから。
皮肉なことに、彼らが到着したその週、ケープタウン大学(南アフリカの名門大学)で「フィーズ・マスト・フォール」と呼ばれる学生運動が起き、大学は閉鎖されました。学費値上げや教育格差への抗議から始まった、大規模な社会運動です。会場も閉まり、別の関連施設へ移ることになりました。正直、白人の欧米系アーティスト3人を招いたタイミングとしては最悪でした。
その後、「ブラック・ライヴス・マター」や「#MeToo」、そして新型コロナウイルス感染症のパンデミックが起こりました。ポートレイト作家でありながら、2、3年間旅もできなかったことは、白人の中年男性写真家として、「少し黙って、人の話を聞け」と言われているように感じたのです。それは、自分の実践にとってとても良いことでした。
現在地はまだ道の途中
――この展示は、2024年に南アフリカの現代アートギャラリー、スティーヴンソンで発表されたものですね。今回は美術館・公的機関での初めての展示ということで、どのように再編集したのでしょうか。
PH:シリーズ全体では100点を超える写真があり、どう凝縮するかが課題でした。泣く泣く外さざるを得なかった赤ん坊の写真もあります。今回はキュレーターを置かず、セレクトはすべて自分で行いました。私は、写真集こそがプロジェクトの最終的な着地点だと考えています。だから、この作品はまだ完結していない。写真集がまだ世の中に出ていないから。
私は大学へは行っておらず、写真は写真集から学びました。恋人の学生証を借りて、図書館で何時間も過ごしていたのです。リチャード・ミズラックの『Desert Cantos』や、デヴィッド・ゴールドブラットの『In Boksburg』は決定的な存在でした。8×10の大判カメラで撮られていて、俯瞰するような眼差しでありながら政治的だった。感嘆符のような強い語り口ではなくても、社会的な問題に触れることはできる。そこにはニュアンスも、繊細さもあり得る。その感覚が、私の世界を開いてくれました。
――では、写真集が完成したら、この章は閉じられるのですね。
PH:いまもまだ、この作品をどう完結させるか、その途中にいます。それはそれで悪くない。まだ写真を足していけるから。人生の終わりまで続けることだってできるプロジェクトです。ただ、この形としては、もう区切りはついたと思っています。これは、私の人生のある時代に強く属している。もう私は、以前と同じように世界を見ていないのです。

Pieter Hugo|ピーター・ヒューゴ
1976年、南アフリカ ヨハネスブルグ生まれ。ケープタウンを拠点に活動する写真家。ムゼウ・コレソン・ベラルド、ハーグ写真美術館、エリゼ写真美術館(スイス ローザンヌ)、ストックホルム写真美術館、イタリア国立21世紀美術館(MAXXI) など、多くの機関で大規模な個展を開催している。2008年には、アルル国際写真祭のディスカバリー賞とKLMポール・ハフ賞の両方を受賞。2012年にはドイツ銀行写真賞のショートリストに選出され、2015年にはプリ・ピクテの最終候補に選出される。
| タイトル | KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2026 ピーター・ヒューゴ「光が降りそそぐところ」 |
|---|---|
| 場所 | 京都市京セラ美術館 本館 南回廊 2階(京都市左京区岡崎円勝寺町 124) |
| 会期 | 4月18日(土)〜5月17日(日) |
| 時間 | 10:00〜18:00(入場は閉館の30分前まで) |
| 休み | 4月20日、4月27日、5月11日 |
| 料金 | 大人:¥1,000/学生:¥500 |
| URL | https://www.kyotographie.jp/programs/2026/pieter-hugo/ |
