Event Report Ishiuchi Miyako

写真から自由であること
石内都が振り返る、展覧会「石内 都 肌理と写真」

AREA

東京

Share

撮影:原田要介

撮影:原田要介

横浜美術館で開催中の展覧会「石内 都 肌理と写真」の関連イベントとして、写真家の石内都と館長の逢坂恵理子によるトークが1月13日(土)に開催された。石内自身のライフヒストリーを紐解きつつ、過去の作品にまつわる出来事や、展示に込めた願いなどを語った。話題の展覧会を総括的に振り返るふたりのトークから、この展覧会におけるさまざまなエッセンスが浮かび上がる。

構成=若山満大
写真=高橋マナミ

石内都(以下、石内):展覧会のタイトルに「写真」とつけたのは、今回が初めてです。いままで写真という言葉をなるべく避けて通ってきましたが、今回はあえてタイトルに写真という言葉を入れたんです。

逢坂恵理子(以下、逢坂):今回の展覧会のタイトルは「肌理と写真」ですが、「肌理」という言葉はフィルム写真だとより多義的な言葉になると思います。印画紙の表層だけでなく、銀塩写真そのものを形作っていく粒子という意味合いも含まれます。被写体の表面、裸体の肌理というものも同時に意味する。石内さんの写真の全体像を正しく表現した言葉だと思います。この「肌理と写真」というタイトルを思いついたきっかけは何だったんでしょうか?

石内:いちばん最初に肌理って文字を見たときは、読み方がわかりませんでした(笑)。ずいぶん前の話ですが、「キメ」という読みを知ったときに、すごくかっこいいと思ったんですよね。以来、文章を書くときは肌理って言葉を使うようになりました。でも、写真に対して使ったのは今回が初めてです。

肌理の英訳は、基本的には「surface」や「detail」です。でも、今回翻訳を担当してくれた映画監督のリンダ・ホーグランドは、これを「grain」と訳してくれました。つまり、肌理を「粒子」「粒」、あるいは「種子」と読み替えた。それを聞いて、訳し方はもうこれ以外ありえないなと思いました。そして「肌理と写真 GRAIN AND IMAGE」と展覧会のタイトルが決まったとき、絶対成功すると確信したんです。

会場風景


逢坂:私たちが石内さんに展覧会のオファーをしたのが、2〜3年前だったでしょうか。当時から、回顧展ではなく、過去の石内さんの展示と差別化できるような新しい試みをしようと話し合っていました。あるとき石内さんから、「肌理」という言葉を展覧会タイトルに使いたいというお話をいただいたんです。同時に、この肌理という言葉を展覧会でどう表現していくかが大きな課題になりました。

「金沢八景 #8」1975-76 © Ishiuchi Miyako

「1906 to the skin #30」1991−93 国立国際美術館蔵 © Ishiuchi Miyako

逢坂:今回の展示は、「横浜」「絹」「無垢」「遺されたもの」の4セクションで構成されています。それぞれの写真を撮るに至った経緯をお話しいただけますか?

石内:展覧会の冒頭に展示した「横浜」のシリーズは、「金沢八景」「yokohama 互楽荘」「Bayside Courts」、そして大野一雄さんを撮った「1906 to the skin」です。大野さんの写真を撮るきっかけをくれたのは舞踏家の元藤燁子さんでした。当時彼女はアスベスト館で「からだの学校」というワークショップを開催していました。私はそのとき男性の傷跡を撮っていて、身体というものへの関心が高まっていたこともあったので、撮らせてもらうことにしました。

当時88歳を迎えられて、なお現役で踊っているプロフェッショナルの身体ですからね。本当に感動しました。88年の時間をまとった皮膚というのは、とても美しかった。大野さんとの出会いは、私にとって非常に大切な経験です。

撮影:原田要介

撮影:原田要介


逢坂:「横浜」の次に展示されたのは「絹」を撮影したシリーズです。石内さんご自身も、多摩美術大学在学中に染織をやっていらっしゃいましたよね。その経験が絹の作品を撮るきっかけになったんでしょうか?

石内:そういう側面もあるかもしれませが、絹を撮ろうと思った一番のきっかけは、広島でした。被曝して残った繊維製品のなかで、一番状態よく残っていたのが絹の衣服だったんです。私は群馬県の桐生市生まれなんですが、ここは絹織物の産地として知られています。遺品としての絹の衣服を見たとき、自分の生まれた場所とのつながりにふと気づいたんですね。そこで桐生の織塾というところを訪ねました。「絹」の展示室は、織塾の銘仙コレクションを撮影した写真で構成しています。

ひとつのものが広がっていって何かを形づくる点では、絹も写真も同じだと思います。絹の糸から着物になるということは、線が平面になり、平面が立体になるってことでしょう?写真も粒子が画像になって、空間を作り出す。このふたつには関係があると思うんです。

逢坂:私は1997年に水戸芸術館で「水戸アニュアル’97 しなやかな共生」という展覧会を企画しました。そのとき石内さんにも「1・9・4・7」と「Scars」シリーズを出展していただきました。「1・9・4・7」が初めて海外で展示されたのは、1994年に横浜美術館のゲストキュレーターとしてアレクサンドラ・モンローが企画した「Japanese Art After 1945: Scream Against the Sky」のアメリカ巡回展で、会場はグッゲンハイム美術館ソーホーでした。この頃から、石内さんの写真はがらっと様変わりしますよね。「無垢」のセクションは、現在もなお撮影を続けられている、傷跡の写真「Innocence」で構成されています。

石内:「1・9・4・7」は、私が40歳の節目に発表したシリーズです。それまで風景や建物しか撮っていなかったのですが、急に身体にフォーカスしはじめたんです。自分が生きてきた40年間という時間をきちんと見たいと思って。40年の時間はどこにあるんだろうって思ったときに、それはおそらく身体の末端に溜まっているんじゃないかと。それで、手と足を撮影することにしたんです。これがきっかけで、私の表現はまた新しく展開を始めました。でも、「いい歳した女の手と足なんて見たくないよ」なんて言われたりしてね(笑)。

石内都


逢坂:年齢を重ねた身体や傷跡の写真はやはり、見たくないという人がどうしても多くなるのかもしれませんね。

石内:よく考えてみたら、私は「みんなが避けて通るもの」にすごく興味があるの。老いていく身体であれ、傷であれ、みんながネガティブに評価しがちなものにね。でも私はただ手と足を撮っているわけでもなければ、傷を撮っているわけでもないんです。それは表面的なことでしかない。

本当に知りたいのは「なぜ、この手と足はあるのか」「なぜ、この人は傷を負ったのか」っていう目に見えないこと。そこをかなり意識して撮っているけど、写真は表面しか撮れないから、手は手、傷は傷でしかなくなっちゃう。でも、その向こう側にあるものを、私はいつも意識しています。

Innocence #83

「Innocence #83」2015 © Ishiuchi Miyako

逢坂:傷を見せられたときにどう感じるか、人によって反応は千差万別ですよね。痛みとして共感する人もいれば、時間とともにその人の一部になっていくという「傷の受容」の過程を想像する人もいるでしょう。しかし実際、傷は隠されるものであって、日常のなかで出会うことはあまりありません。石内さんの写真は、目に触れにくい、あるいは目をそらしがちなものへと、私たちを導いてくれるような気がしています。

石内:写真のおもしろさは、相手がいることですよね。一人ではできない。常に相手がいるという意味において、社会性があるわけ。「Innocence」は女性の傷を撮ったシリーズです。男性の傷は「勲章」として社会のなかで認知されるけど、女性の場合は全然意味が違う。「キズモノ」というひどく差別的な言葉があるように、マイナス以外の何者でもない。本人にとっても、当然負の思い出になる。でも同時に、これほど強く、生きていることを証明してくれるものもないんですよ。傷を受けて死んでしまう人もいる中で、傷を受けてなお生きているということの意味は、ことのほか大きい気がしますね。


ひろしま #106 Donor: Hashimoto, H.

「ひろしま #106 Donor: Hashimoto, H.」2016年 © Ishiuchi Miyako

逢坂:先ほどお話ししたグッゲンハイム美術館ソーホーでの展覧会で、アメリカのキュレーターたちから、石内さんの作品を見るとジョン・コプランズの写真をイメージするという話を聞きました。

石内:ジョン・コプランズは日本ではあまり紹介されていない写真家ですよね。彼は1972年から1979年まで、雑誌『ARTFORUM』の編集長をやっていました。それを60歳で退職してから、写真家になったんです。作品はセルフヌード。毛むくじゃらで太った白人のおじさんのヌードなんて、見られたものじゃないって思うでしょう?でも、そうじゃないの。彼の作品は本当にすばらしい。

自分の身体で、男性や女性、石とか動物を表現しているんですよ。それがとてもおもしろくて、楽しくてね。男性のヌードっていうと、いわゆるマッチョな肉体を撮ったものが主で、普通の男性のヌードってありそうでないの。彼は自分の「醜い」身体をモデルにして写真を撮るわけだけど、その「晒す」っていう行動がすごいなと思ったの。

逢坂:彼もどこかで書いていたんですが、そうやって自分の身体を晒すということは、ある種のタブーに挑戦することなんだと。それによって自分が生きているという実感や、生きるための活力を与えられるんだと書いていました。

石内:以前ニューヨークにいる彼のところに会いにいったことがありますよ。「撮っているから会える」ということも、写真のいいところですよね。国境や地域なんか関係なく、写真っていうキーワードさえあれば、世界のどこの誰とだってつながることができる。


撮影:原田要介

撮影:原田要介

逢坂:石内さんは写真を始める以前から、デザインや織の分野で制作をされていたためでしょうか、写真の一般的な展示に比べて、額装や展示の仕方もユニークですよね。

石内:いい意味で写真から自由なんだと思います。写真って紙だから、展示の仕方が難しいんですよね。最初の頃は、全部印画紙を裁ち落としにして展示することにしていました。「Apartment」や「連夜の街」はパネルに水張り。そうすると四方は何もない状態になる。白いオーバーマットを使って、いわゆる「窓」みたいな感じになるのが嫌いなんですよね。

逢坂:初期はそうでしたが、近年は額装してありますよね。

石内:そうですね。「ひろしま」シリーズから、少し意識が変わっています。額のアクリルを無くし、プリント表面をラミネート加工しています。額の厚みをなるべく薄くしたんです。なぜそうしたかというと、遺品を撮った写真を重くしたくなかったからです。なるべく軽くしたかった。

逢坂:今回は小さく厚いアクリルに写真をマウントされていますが、あれはどういうところから着想を得たんでしょうか?


撮影:原田要介

撮影:原田要介

石内:最後の「遺されたもの」についての展示室ですね。あれはまず、青い壁が「空」をイメージした空間になっています。それから、その向かいの緑色の壁に20ミリのアクリル板を表面にマウントした写真を展示しています。この根底には「宝石」のイメージがあります。人間はよく生きて100年足らずだけど、宝石は地中で何千年という時間をかけて生成されますよね。だから、遺品たちが深い土の中で輝き続けてほしいと思って、アクリルを水晶に見立てました。つまり、遺品は土の中で宝石としてあってほしいという思いから、あのアクリルの作品は作られているんです。

広島に遺された遺品というのは、無名の人々のなんでもない日用品だったりするわけです。でも、なんでそんなものが72年ものあいだ遺されているのかといえば、原爆という過ちを後世に伝えるためですよね。遺品たちは私たちが死んでも、ずっとこの世に残り続けなきゃいけない。それって、変な言い方ですけど、大変なことですよ。そういう長い時間の経過を想像したとき、被曝者の遺品は時間とともに輝きをまとって宝石のようになるに違いないと、私は思うんです。

石内都


逢坂:今回の展示も「写真から自由であること」を体現するような要素がたくさんありました。例えば、各部屋ごとに壁の色を変えたこと、作品を目線の高さで一列に並べないこと。石内さんの空間を作っていく情熱が感じられる展示になっていると思います。

石内:私、展示作業が大好きなんですよ(笑)。今回は会場も広くて大変だったけど。「絹」の展示空間を作っているときに思ったんですが、やはり展覧会を作る上でチームワークというのは非常に大事だなと。あの展示室は天井高が7メートルくらいあって、一番上の方に展示する写真は、私ではもう見えない。だから、インストーラーのお兄さんに言ったの。「あなたのいちばん好きなところに展示してね」って(笑)。つまり、搬入に関わっている全員が、展覧会を作るんですよ。

一人でできることには、やはり限界があります。写真が一人でできないのと同じように。他者とうまく関係しつつ、できることの幅、可能性を広げていくことが大事なの。この展覧会は、そういうところがすごくうまくいったから、いいものになったんだと思っています。

タイトル

「石内 都 肌理と写真」

会期

2017年12月9日(土)~2018年3月4日(日)

会場

横浜美術館(神奈川県)

時間

10:00~18:00(3月1日は16:00、3月3日は20:30まで/入館は閉館の30分前まで)

休館日

木曜(3月1日は開館)

入場料

【一般】1,500(1,300)円【高校・大学生】900(700)円【中学生】600(400)円【小学生以下】無料【65歳以上】1,400円(要証明書・美術館券売所でのみ対応)*( )内は前売料金/毎週土曜は高校生以下無料(要生徒手帳・学生証)/障がい者手帳の交付を受けている方と付添者1名は無料/観覧当日に限り、本展観覧券で横浜美術館コレクション展も観覧可

URL

http://yokohama.art.museum/special/2017/ishiuchimiyako/

石内都|Ishiuchi Miyako
1947年群馬県桐生市生まれ。神奈川県横須賀市で育つ。1979年に「Apartment」で女性写真家として初めて第4回木村伊兵衛写真賞を受賞。2005年、第51回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表作家に選出され、母親の遺品を撮影した「Mother’s」を展示する。2007年より現在まで続けられる被爆者の遺品を撮影した「ひろしま」も国際的に評価され、近年は国内各地の美術館のほか、カナダ、アメリカ、オーストラリア、イタリアなど海外で作品を発表している。2013年紫綬褒章受章。2014年には「写真界のノーベル賞」と呼ばれるハッセルブラッド国際写真賞を受賞。作品は、横浜美術館をはじめ、東京国立近代美術館、東京都写真美術館など国内主要美術館、ニューヨーク近代美術館、J・ポール・ゲティ美術館、テート・モダンなど世界各地の美術館に収蔵されている。