Dialogue
Miyako Ishiuchi × Chizuko Ueno

石内都×上野千鶴子 対談
ふたりの女の人生を未来へつなぐ

6 January 2020

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石内都×上野千鶴子対談レポート「ふたりの女の人生を未来へつなぐ」 | ふたりの女の人生を未来へつなぐ

現在、ちひろ美術館・東京で「石内都展 都とちひろ ふたりの女の物語」を開催中の石内都。本展は、2018年に安曇野ちひろ美術館で開催された「いわさきちひろ生誕100年『Life展』ひろしま 石内都」でちひろと出会った石内が、自身が写真家としての名前に借りている実の母、「石内都(旧姓。結婚後は藤倉都)」といわさきちひろという二人の女性のあいだに多くの共通点を見出したことから生まれた。母として、女として、手に職を持つ働き手として生きた二人を通して石内が見出したものは何か。長年交友のある社会学者・上野千鶴子と共に語った。

構成=森かおる
写真=高橋マナミ

*2019年11月30日(土)にちひろ美術館・東京にて行われた対談 石内都×上野千鶴子「ふたりの女の物語 都とちひろ」から抜粋して掲載

ちひろとの出会い
「Life展」から「石内都展 都とちひろ ふたりの女の物語」へ

上野千鶴子(以下、上野):私は子どものころからずっといわさきちひろが大好きで、一度ペンネームを作ろうとしたときに「いわさき」にしようと思ったくらいなんですが、石内さんは美術館から依頼が来るまで、いわさきちひろって知ってた?

石内都(以下、石内):知ってますよ(笑)。

上野:じゃあ、作品は好きだった?

石内:いや(笑)。やさしくてきれいでロマンチックで、それはわかるんだけど、まったく興味がなかったですね。だから去年、安曇野ちひろ美術館の「Life展」に呼ばれたときは仰天したの。

上野:この組み合わせは誰が考えたんだって、びっくりしました(笑)。

石内:そのときにコラボレーションしたのは、原爆孤児の文章に彼女が絵をつけた本『わたしがちいさかったときに』と、私の「ひろしま」でした。

上野:広島つながりで、水と油みたいな二人のコラボができて、化学反応が起きたと。やってみてどうでした?

石内:やっぱり、広島にはすごい力があるんだなと思いました。広島が呼ぶ力というか、戦後が終わっていないという意味も含めて。だから、すごくやって良かったと思っています。ちひろさんは広島に行って取材したけど、結局資料館にも入れずに帰っちゃうくらい繊細で、真面目で、真剣。そういう人だということもよくわかりました。そういう彼女が根底にあって、あの絵になっていったんだということも。

上野:ちひろを再発見したわけね。

石内:そうですね。そして、同じ展示をちひろ美術館・東京でもやってほしいという依頼があったんだけど、同じことをもう一回やるのはいやで、そこでちひろさんと母を思い出した。二歳しか違わない、二人とも手に職を持っていて、再婚、しかも旦那さんが年下で、二人揃って旦那は大卒。あまりにも共通点があるので、ふたりの女の物語、みたいなかたちでちひろさんの遺品も撮ってみたら、と考えました。

石内都 1974.chihiro #1 2019年 ©︎ Ishiuchi Miyako

石内都 1974.chihiro #9 2019年 ©︎ Ishiuchi Miyako

石内都 1974.chihiro #2 2019年 ©︎ Ishiuchi Miyako

上野:やっぱり、すごい化学反応が起きたんですね。

石内:いままでの私のテイストとちょっと違うかもしれないですが、自分でも今回の展覧会はびっくりしているんです。なぜ「Mother’s」を撮ったかということや、なぜ「石内都」という母の旧姓を名乗ったのかということが、すごくはっきり見えてきたような気がしています。


母と娘、女同士だから生まれる愛憎と喪失

上野:石内さんは長い間、自分は女を意識して写真を撮ってないっていい張ってた。でも、「Mother’s」や「1・9・4・7」では、女をとても意識して仕事をなさるようになったと思います。

ちひろさんの部屋の展示と「Mother’s」の部屋の展示は、すごく対照的ですね。ちひろさんの部屋にある衣服の写真はほとんどアウターで、しかも少女っぽいドレス。対するに、上のフロアの都さんの展示は、ほとんどインナーです。私が初めて「Mother’s」を見たときの衝撃は、非常に大きかった。かつてそこに肉体が閉じ込められていた着古された下着が、かつてあったものの不在を象徴するかのようにとらえられていて、ドキっとするような生々しさがありました。その生々しさは、ちひろさんの遺品には感じました?

「石内都展 都とちひろ ふたりの女の物語」インスタレーションビュー

「石内都展 都とちひろ ふたりの女の物語」インスタレーションビュー

石内:「Mother’s」を撮ったのは、母が死んで遺骨になった日からです。でも、ちひろさんは45年経っているんですよ。私は遺品を撮っているけど、遺品そのものを撮っているわけじゃないんです。「Mother’s」の場合、感情的な喪失感がかなり大きくて。哲学的に下着は第二の皮膚といわれていますが、タンスを開けたら母の皮膚が詰まっていた。そうすると、私は撮るしかない。

「石内都展 都とちひろ ふたりの女の物語」インスタレーションビュー

「石内都展 都とちひろ ふたりの女の物語」インスタレーションビュー

上野:わかります。でも私には、それが喪失を撮っただけとは到底思えなくて。母に対する娘の感情って、愛憎共にあるでしょう。そうなると、あの中に生々しく女がいるという感じがするんです。私が「Mother’s」を最初に見たときの感想は、はっきりいって、目を背けたい思いでしたよ。子どもは一般に、母が女であることを許さないものです。そういうアンビバレンツはなかったの?

石内:それ以上に、とにかく自分でもびっくりするくらいに喪失感がひどくて。これからいろんな話をしたいと思った矢先にいなくなっちゃったから慌てたのと、なんでいないの?という理不尽な思いがあって。満州のころの話も前の旦那の話もずいぶん聞いたけど、結局話さなかった。

上野:満州経験も、ちひろさんと似ているところですね。

石内都 Mother's #5 2001年 群馬県立近代美術館寄託作品 © Ishiuchi Miyako

石内都 Mother's #52 2003年 東京都写真美術館蔵 © Ishiuchi Miyako

石内都 Mother's #3 2000年 東京都写真美術館蔵 © Ishiuchi Miyako


いわさきちひろと松本善明、藤倉都と藤倉清

上野:ちひろさんはほとんど女家長でした。家政を取り仕切って家計を支えてきた女性。でも子どものころは、当時のキャリアウーマンで、学校の先生をやっていたお母さんにものすごく支配的にコントロールされた娘。一方で都さんのほうは、早い時期に奉公に出され、養女に出されて、実母との関係はあまりないのでしょうか。

石内:そうみたいですね。母は、養女に出された先で番頭さんと結婚の約束があったらしいということがわかって、逃げて帰ってきた。彼女はちゃんと男を選んできたんだという感じがします。

上野:それもすごい話です。その後、7歳年下の若者と恋愛して。その後に戦死したはずの夫が帰ってきたけど、手切れ金渡して切ったって。これまたすごい。

石内:車の運転をしてると給料よりチップのほうが多くて。女性は珍しかったしね。それで、ちゃんと慰謝料を払って別れた。

上野:妻が払ったと?

石内:父は割と軟弱な人で(笑)。性格はとても優しい人だったけど、働くのはあまり好きじゃなかった。

上野:善明さんと似てますね。

石内:でしょう?事業をいろいろやっていたらしいんだけど、みんな駄目で。

上野:ジェンダー関係は男が優位だから、それを対等にするためには、夫のほうが学歴が低いとか、年齢が若いとか、甲斐性がないとかして、上げ底を外すことによって初めて女と目の高さが同じになる。穏やかで、あまり熱心に仕事をしない男性をあえて選んだ、というところがあったのかしら。

石内:それはよくわからないけれど、恋愛結婚だということははっきりいっていました。それと、母が亡くなってから家計簿が出てきて、その端っこに「清が死んだ」って書いてあったの。母が父の名前を呼んだことは一度もなかったから、すごくびっくりして。そこで初めて、やっぱり男と女だったんだなってことがわかって、涙が流れちゃった。

藤倉都

いわさきちひろ 1960年(41歳)

上野:ちひろさんと善明さんはとても仲の良い夫婦だったと、みんなが証言しています。それについて忘れられないエピソードがあります。ちひろさんが、政治活動ばかりで家に帰ってこない善明さんに、「みんな、あなたがわるいのよ」って愚痴をこぼしたんですって。そうしたら善明さんに「僕は朝早く出て夜遅く帰ってきたばかりだ。どうしてみんな僕がわるいのか」といわれたと。家にいないことが問題なのに。そのくらい話が通じないんだけど、ちひろさんがすごいなと思うのは、そこで笑っちゃって、善明さんを許しちゃうの。

石内:それはやっぱり好きだからだよね。

上野:どうしようもない夫なんだけど、愛がある夫婦だった。

石内都×上野千鶴子


女として、表現者として生きること、老いること

上野:戦後の女三代の歴史を考えたときに、ちひろさんと藤倉都さんには、それぞれの母と娘の関係があるのに、三代目の私たちは二人ともおひとりさまで、この次の母と娘関係がないんですよね。

石内:それは、表現しているからですよ。上野さんも研究してるし、私も表現してるわけでしょう。私は、写真を生み出している感じがある。

上野:私も本を作るたびに1冊産んだ!と思うけど、本も作品も、産んだあとに手を煩わせないでしょう(笑)。人間、生んだらそのあとが大変。

石内:じゃあ、なんであなたは産まなかったの?

上野:私は母の人生を見ていて、やってられないと思った。うちの両親も恋愛結婚だけど、母は、夫選びを間違ったとずっといってた。娘が一番母に批判的になる10代のころ、「お母さん、あなたの不幸は夫を変えても同じだよ」と思った。つまり人格ではなく、構造が問題だと思ったのが、私の社会学の原点です(笑)。

石内:うちは仲が良かったけど、結婚はしたくないと思った。子どもを生みたくないというのは、初潮のときに決めたの。

上野:早すぎない?(笑)

石内:自分が血を流したときにすごく怖くて、これ以上血を流したくないって思った。それを貫いたの。

上野:もうひとつ話題にしたいのは、私たち、二人とももう高齢者でしょう。年老いていく自分をどんなふうに考えるか、と。私はちひろさんの作品は好きだったんだけど、彼女の人生はほとんど知らなくて。それが、いつ彼女の人生に魂を掴まれたかというと、ちひろさんが晩年になってから書いた「大人になること」っていう文章をたまたま読む機会があったから。

人はよく若かったときのことを、とくに女の人は娘ざかりの美しかったころのことを何にもましていい時であったように語ります。けれど私は自分をふりかえってみて、娘時代がよかったとはどうしても思えないのです。

といってもなにも私が特別不幸な娘時代を送っていたというわけではありません。戦争時代のことは別として、私は一見、しあわせそうな普通の暮しをしていました。好きな絵を習ったり、音楽をたのしんだり、スポーツをやったりしてよく遊んでいました。

けれど生活をささえている両親の苦労はさほどわからず、なんでも単純に考え、簡単に処理し、人に失礼をしても気付かず、なにごとにも付和雷同をしていました。思えばなさけなくもあさはかな若き日々でありました。

(中略)

もちろんいまの私がもうりっぱになってしまっているといっているのではありません。だけどあのころよりはましになっていると思っています。そのまだましになったというようになるまで、私は二十年以上も地味な苦労をしたのです。失敗をかさね、冷汗をかいて、少しずつ、少しずつものがわかりかけてきているのです。なんで昔にもどれましょう。

(中略)

これはきっと私が自分の力でこの世をわたっていく大人になったせいだと思うのです。大人というものはどんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思います。

上野:これに本当に魂を掴まれて。「なんで昔に戻れましょう」っていいセリフだな、としみじみ思うのですが、いかがでしょう。

石内:同じです。私も昔に戻りたくない。歳を取って、面白いと思う。

上野:私も本当にそう思います。自由になったと。

石内:いやなことはしない。できることしかしない。歳を取ると非常に限界がはっきりしていくから、すごくいいですよね。

上野:ちひろさんのいっていたこととちょっと違うような気がするけどね(笑)。

石内:私は、若いときは何でもできると思っちゃってたわけですよ。

上野:傲慢だなあ(笑)。かつて傲慢だった人は、だんだん制約が増えて自由になる。かつて謙虚だった、自分の力に限界を感じて不遇な青春を送っていた私は…

石内:そうなの?(笑)

上野:だんだんと可能性を増やしていって、いま、とても自由だと思っている。老いるっていいよね(笑)。

石内都×上野千鶴子


「写真家 石内都」という名前

上野:残しておいた質問に戻りましょう。今回の展示を通じて、自分がどうして「石内都」を名乗ったかが見えてきた、といいましたよね。

石内:ここにある写真たち、これらは実際は、とても小さなものなんです。こんな小さな写真が捨てられずに残っていたということは、私が偶然選んだにしても、何か未来につながっていく、ひとつの線みたいなものを感じています。そしていまになって、石内都という見知らぬ女の名前を名乗ったことも、実はこういう文脈の中で写真ということに結実した、という感じ。

上野:娘は残さなかったが、作品は石内都の名前で残る、と。偶然が必然に変わるのね。

石内:そうです。一人じゃ変わらないけれど、今回はいわさきちひろを通して発見できたわけです、母をね。

タイトル

「石内都展 都とちひろ ふたりの女の物語」

会期

2019年11月1日(金)~2020年1月31日(金)

会場

ちひろ美術館・東京(東京都)

時間

10:00~17:00(入館は閉館の30分前まで)

休館日

月曜日(祝休日は開館、翌平日休館)、年末年始(12月28日~1月1日)

料金

【大人】800円【高校生以下】無料

URL

https://chihiro.jp/tokyo/exhibitions/73941/

石内都|Ishiuchi Miyako
1947年、群馬県桐生に生まれ、横須賀で育つ。1979年「Apartment」で第4回木村伊兵衛写真賞受賞。2005年、母の遺品を撮影した「Mother’s」でヴェネツィア・ビエンナーレ日本館代表作家に選出される。2008年に写真集『ひろしま』を発表、被爆者の遺品の撮影は現在も続く。2013年に紫綬褒章、2014年にハッセルブラッド国際写真賞を受賞。2017年に横浜美術館で大規模な個展「肌理と写真」を開催。2018年には安曇野ちひろ美術館で、「いわさきちひろ生誕100年『Life展』ひろしま 石内都」を開催した。

上野千鶴子|Chizuko Ueno
社会学者・東京大学名誉教授・認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。富山県生まれ。京都大学大学院社会学博士課程修了。平安女学院短期大学助教授、シカゴ大学人類学部客員研究員、京都精華大学助教授、国際日本文化研究センター客員助教授、ボン大学客員教授、コロンビア大学客員教授、メキシコ大学院大学客員教授等を経る。1993年東京大学文学部助教授(社会学)、1995年から2011年3月まで、東京大学大学院人文社会系研究科教授。2012年度から2016年度まで、立命館大学特別招聘教授。2011年4月から認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。専門は女性学、ジェンダー研究。この分野のパイオニアであり、指導的な理論家のひとり。高齢者の介護とケアも研究テーマとしている。