「写真は君の記憶を保存しておくための、かけがえのない品物だよ。燃やしたりしたら、もう取り返しがつかなくなるんだ。」(小川洋子『密やかな結晶』講談社文庫、1999年)
小川洋子の小説『密やかな結晶』の舞台の島では、身の回りのものがひとつずつ消滅し、そのことに関する記憶も失われていく。写真が世界から消滅したある日、主人公は写真プリントをすべて燃やしてしまう。そのシーンを読むとき、私はいつも、自分の写真を燃やし、そして記憶を失った中平卓馬のことを思い浮かべてしまう。写真と批評に人生を捧げた中平にとって、表現とは何だったのか。そして彼を「永遠の友達」と呼ぶ同い歳の森山大道は、彼と出会ってから50余年の間、どのように呼応し合ったのだろうか。
葉山館を訪れると、本展に入る前に、加納光於のコレクション展を通ることになる。独自の色彩世界を抜けると、白黒でしつらえられた非現実的な世界に突如として切り替わる。
まず視界に入るのは、中平の写真のスライドプロジェクションだ。逗子、葉山のダイナミックな海や団地……中平の初期を代表する写真集『来たるべき言葉のために』の全ページの写真群が壁に大きく投影されている。中平が「現実の断片をカメラによって写し撮り、それをまさしく断片として放出すること」と表現するように、まるで波のようなリズムでイメージが切り替わり、彼の記憶がフラッシュバックする。
視線を横にうつすと、森山の《無言劇(パントマイム)》の胎児の写真が整然と並んでいる。ホルマリン漬けの標本にポーズをつけたこのシュルレアリスティックなシリーズは、『現代の眼』の編集者だった中平が命名し、かつ同誌掲載にあたり文章を寄せており、二人の初期の交流を見ることができる。
しばらくの間、中平と森山にとっての主戦場は雑誌などの印刷物であった。ふたりが交互に写真を担当した『アサヒグラフ』などの貴重な印刷物の資料とともに、森山の撮影した逗子と葉山の海水浴の写真などが並ぶ。会場に行くまでに、当時と同じように楽しむ海水浴客を視界に入れながら美術館に赴いたので、その様子が重ね合わさり、まるでタイプスリップしたような気持ちになる。
森山大道《東京都 新宿区》1966年 © Daido Moriyama Photo Foundation
そして目を引くのは中平卓馬、高梨豊、多木浩二、岡田隆彦によって1968年に創刊された『プロヴォーク』の誌面レイアウトの展示だ。1号から3号まで、トーンや紙質を見比べることができるだろう。並べられた写真はどれも不明瞭で、網膜をヤスリでこすられるようなアレ・ブレ・ボケの特徴的な表現だ。その支持体となる紙や印刷の具合でムードはがらりと変わる。
その向かいには、中平の思考の深淵に迫る、『なぜ、植物図鑑か』の文章のプロジェクションが大きく映し出されている。写真とは何か? 表現とどう対峙すべきか? 字を追うこちらが苦しくなるほど、中平が自身に執拗に言葉を向ける思考の挑戦の跡を辿ることができる。黒地に白抜かれた文字が、暗室で生成されるイメージのようにぼんやりと浮かび、中平に耳打ちされているようについ錯覚した。写真について極限まで問うた中平は、同書刊行と同時期に、『プロヴォーク』から『来たるべき言葉のために』の頃までに撮られた自身のネガとプリントを燃やしてしまった。森山もまた、自身の写真表現に向き合った『写真よさようなら』を刊行すると、一時期スランプ状態に陥ったのだった。
中平が逗子の自宅で昏睡状態に陥り、記憶を失くした後に刊行された『Adieu à X』や、森山の再出発後に刊行された『光と影』……それぞれの方法で写真表現を模索し続けた二人の白黒に限られてきた世界に、色彩が現れる。
現在も続いている森山の雑誌『記録』のバックナンバーが並び、森山が毎号、どの写真を表紙に選んだのか、白黒なのかカラーなのか、その選択の手つきをつい想像してしまう。そして同誌から抜粋された写真が壁にプロジェクションされている。本展の特徴のひとつはプロジェクションの多用、そしてその投射位置の低さにあると言えるだろう。足元から投射されるので、必然的に横切る人や自分の影がスクリーンに映り込んでしまう。その出来事が光と影から生み出される「写真」の本質の一側面を体感させてくれる。
そして中平の『Documentary』から選ばれた中平のカラー写真群が並ぶ。一度写真を手放した後に再び撮られた写真は、主体が消えて事物そのものが写っているようだ。
本展は両者それぞれの作品が入り組んで構成されている。逗子、葉山でともに海に潜り、深く影響し合ったふたりの関係性は、寄せたり引いたりしながら、波のようにいまもなお打ち寄せ続けている。
タイトル | 「挑発関係=中平卓馬×森山大道」 |
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会期 | 2023年7月15日(土)~9月24日(日) |
会場 | 神奈川県立近代美術館 葉山(神奈川県) |
時間 | 9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで) |
定休日 | 月曜(9月18日を除く) |
URL | http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2023-provocative-relationship |
苅部太郎|Taro Karibe
1988年、愛知県生まれ、東京都在住。テクノロジーと偶像性がものを見る営為に与える影響を考察しつつ、作品を制作する。主な展覧会に「Platform 29.8」ANB Tokyo(東京、2022年)、「沙織」京都国際写真祭 KG+ SELECT(京都、2021年)、「Age of Photon/ INCIDENTS」IMA gallery(東京、2020年)など。