Photographer's Table

写真家の食卓 vol.5 潮田登久子×島尾伸三×しまおまほ×梅佳代(前編)
(IMA 2019 Summer Vol.28より転載)

11 May 2020

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写真家の食卓 潮田登久子×島尾伸三×しまおまほ×梅佳代(前編) | 潮田登久子×島尾伸三×しまおまほ×梅佳代

写真家が料理を振る舞い、ゲストとのトークを繰り広げる連載第5弾では、 写真家の潮田登久子が、娘・しまおまほの友人でもある梅佳代を招いた。 夫の島尾伸三、まほと共に、梅の8カ月の娘も参加し、笑いの絶えない食卓に。 家族と長い時間を過ごしてきた家で、伸三の故郷・奄美大島の食材を生かしたメニューを囲む。長く夫婦である二人の関係を中心に、写真を媒介にしたユーモアあふれる家族の姿が浮かび上がる。

文=IMA
写真=川島小鳥

鶏飯の具材のほかは、生のもずく、豚足の煮物、胡椒肉、あおさのスープに、デザートのタンカン。ゴーヤの漬け物はまほ作。

2台ある冷蔵庫にはたくさんのメモが所狭しと貼られている。

写真界きってのおしどり夫婦を囲むにぎやかな食卓

潮田登久子(以下“潮田”):鶏飯は、ご飯の上にいろいろなものをのせてスープをかけて食べる、奄美大島の郷土料理。島尾の故郷なので、奄美大島には年に3回行くんです。今日の食材も、島に行くといつも買って帰ってくるもので作りました。

梅佳代(以下“梅”):料理は毎日しますか?

潮田:しますね。その方が安かったから、結婚してからは、ずっと料理をしています。

島尾伸三(以下“島尾”):僕と一緒になるまで実家では家事のお手伝いをしてなかったらしいけど、だんだん本領を発揮して。日々の普通の食事を丁寧に作る。みんな美味しいし、料理でこの人の健康状態がわかるの。

梅:私は年に一回、島尾家のクリスマスパーティに呼んでもらって、毎年同じことで盛り上がるんです。まほちゃんが集めてきた謎のお面をかぶってね。

島尾:私は裏方で、飾り付けの学芸員。

潮田:テーマが決まっていてね。エロかったりするの。

梅:それでみんなが大盛り上がりするの。

しまおまほ(以下“しまお”):出会いのきっかけは、私が佳代ちゃんとタイで仕事が一緒だったんだよね。

梅:そうだ!まほちゃんがモデルをして、私が撮影したんだ。

しまお:14~15年くらい前かな、すごく楽しかったよね。登久子さんと会ったのは、大阪のPort Galleryの展示(2008年)に佳代ちゃんが来てくれたときだっけ?

梅:会ったと思う。もじもじした感じで。

潮田:作品の話は一度もしたことないよね。

梅:ここの家に来るときは、完全に友だちの家に来た感じのノリで。でも、いつも登久子さんがせっせとなんか作ってくれてるの。

しまお:今日の胡椒肉とかは、よく作っているかも。最初のうちは鶏飯も出したことあると思う。

ご飯の上に具材を盛って鶏スープをかけたら鶏飯のできあがり。

台所では豚足に根菜を入れて煮ているところ。

台所には各国の食材シールが貼られているのが潮田らしい。


突進して撮っていた街中のポートレイトを経て

島尾:僕は梅佳代ちゃんに最初の頃にいったのは、いましか撮れない写真だから、いまのうちに撮れって。自分が変わると、向こうの反応が変わっちゃうから。

梅:それは、めっちゃわかります。特に外を撮ると、いろいろな場面で思います。10代と20代と30代で全然違うし。

潮田:梅佳代ちゃんは、どんな学校行ってたの?

梅:大阪の写真専門学校に行ってました。ちょっとダサめの学校だったけど、それがよかった。アートっぽかったら多分私は「ダメ」っていわれてがーんとなって、写真やってなかったかも。田舎者過ぎて電車の乗り方もわからなかったから、3年間ずっと萎縮してた。でも、だからすべてにびっくりして、いろいろスナップ写真を撮ってたのかも。

『うめめ』梅佳代(2006、リトルモア) 梅佳代旋風を巻き起こした処女作。ユーモアあふれる日常の奇跡的なシャッターチャンスに誰もが驚嘆した。

『男子』梅佳代(2007、リトルモア)大阪の写真専門学校時代に、近所で出会った男子小学生を撮影。やんちゃで無邪気な男子たちのパワーが炸裂する。

島尾:そうすると、いろいろなものがよく見えますよね。

潮田:人間を撮るって、いま結構大変でしょ。

梅:本当に大変 ! デビュー当時よりもっと大変で、あんまり撮ってないし、発表しにくいし。

潮田:距離を保って撮るとパワーがなくなるし、そーっと撮ってると怪しい人が撮っているような感じになって、開き直ったところがなくなる。梅佳代ちゃんがああいう写真を撮れるのは、キャラクターの力だろうね。すごい才能だなと思う。私が40年以上前に、街角で、銀座とか新宿で撮ってたときは、あの人!と思ったらそこに突進していって、1メートルくらいの距離でシャッターを押すわけ。でもそれをやっていたら、限界を感じるようになって。

島尾:学生のときに、通行人を正面から撮る練習をしていた。そのうち僕は、びびって声をかけるようになったの。「すいません、いいですか?」といっているうちに、僕の写真は柔和になっていって。とっさの出会いのインパクトがなくなってしまって、僕は向いてないなと思ったの。

©Tokuko Ushida この頃、潮田は銀座にいたみゆき族や、浅草の芝居小屋の楽屋に入ってスナップを撮っていたという。

©Tokuko Ushida この頃、潮田は銀座にいたみゆき族や、浅草の芝居小屋の楽屋に入ってスナップを撮っていたという。


潮田:私は突進して行って撮る。

島尾:すごく怖かったよ、付き合った頃に新宿の歌舞伎町の通りを歩いていたら、白づくめの怖いお兄さんがいたんだけど、登久子さん真っ正面に行って撮るの。1枚パシャじゃないの、何枚もよ。僕は電信柱の陰に隠れた。

潮田:あれはね、撮り方があるのよ。目配せして、向こうがオッケーっていうようなサインを見せたら撮るの。

島尾:そしたら夢中で3〜4分くらい、正面に立ち尽くして撮るの。

潮田:人間をいじわるなまなざしで撮っているような感じになってきて、限界を感じてね。それでモノを借りて人間を撮るように移っていった。それを気づかせてくれたのが島尾でもある。「優しくないから、人間の尊厳をもう少し大事にした方がいい」っていわれて。

島尾:日本のポートレイトはずっと人間の尊厳を無視して、相手を馬鹿にしたような写真が非常に多かった。学校の先生たちもそういう写真を撮っていたし、カメラ雑誌もそういう写真が多かったの。だから梅佳代ちゃんみたいな写真は珍しいと思うよ、すごく。

潮田:本当にうらやましい。これね、突進して、28mmレンズで撮ってた頃の写真。

梅:すごい ! 私はまだ突進したことはないですよ !

島尾:正面からぶつかっていくタイプ。でもその二人が一緒になって中国に行って写真を撮るようになったら、あの人はいつの間にかモノを撮るようになっていて、私はいつのまにか人間を撮るようになっていった。二人がクロスしていったの。例えば商店街や市場の入り口に着くと、その通りが終わった所で1時間後にって決めて、お互い好き勝手写真を撮ってまた集合するの。

潮田:あと戻りしない旅行の仕方は、島尾に教えてもらいましたね。

島尾:同じ場所には戻らない、目的を作らない、ガイドブックは見ない。現地の人が買うような小さい地図だけをゲットして、それを見て動く。

潮田:東京で買ったガイドブックを見て、私がどうしても行きたい場所を探していると、島尾がしびれを切らせていなくなっちゃうのね。私は意地になって、その目的地に行く。でもそうすると、目的地が目的になっちゃって、そこに行くまでのいろいろなものが見えないんですよ。ああ、こういうことなのかと思って。

島尾:自分の目で発見したことにはならない。だからなるべく自分の足で歩く。

後編に続く

潮田登久子|Tokuko Ushioda
1940年、東京都生まれ。写真家。代表作にさまざまな家庭の冷蔵庫を正面から撮ったシリーズ「冷蔵庫 ICE BOX」がある。2018年、『本の景色 BIBLIOTECA』(ウシマオダ)で第37回土門拳賞および第34回東川賞国内作家賞を受賞。主な著作に『冷蔵庫 ICE BOX』(BeeBooks)、『HATS』(パロル舎)などがある。

島尾伸三|Shinzo Shimao
1948年、島尾敏雄・ミホ夫妻の長男として神戸市で生まれ、奄美大島で育つ。作家、写真家。家族を被写体に日常を写した作品や、中国、香港、マカオなどの人々の生活や玩具、雑貨などを写したシリーズで、日本だけではなく、中国でも広く知られている。『まほちゃん』(オシリス)、『月の家族』(晶文社)など著書多数。

しまおまほ|Maho Shimao
1978年、東京都生まれ。漫画家、イラストレーター。両親は写真家の島尾伸三と潮田登久子。1997年『女子高生ゴリコ』(扶桑社)で漫画家としてデビュー。写真やファッションにも精通し、ファッション誌やカルチャー誌に漫画やエッセイを寄稿する。著作に『マイ・リトル・世田谷』『ガールフレンド』(ともにスペースシャワーネットワーク)などがある。

梅佳代|Kayo Ume
1981年、石川県生まれ。写真家。身近な人物や、日常の風景を切り取ったスナップ写真が高く評価され、日本だけではなく、海外でも展示を行なう。「男子」「女子中学生」で写真新世紀を2年連続受賞。2007年、写真集『うめめ』(リトルモア)で第32回木村伊兵衛写真賞を受賞した。近著に『白い犬』(新潮社)などがある。