俳優としての活動と同時に、写真家としての顔も持っている安藤政信。東京ファッションウィークの撮影、『GQ』などの雑誌での旬の女優たちの撮り下ろし、また手作りのZINE製作など、近年その活動の幅を広げている。そんな安藤に、写真についての思いや俳優業との関係を聞いた。
撮影=大久保歩
インタヴュー・文=小林英治
シンディ・シャーマン展で写真に開眼
―写真について、20代の頃から取り組んでいるとうかがいました。本格的に撮り始めるきっかけはありましたか?
17歳の高校2年生のときに両親の部屋のタンスの上に埃をかぶった古びたカメラがありました。それがキャノンのFTbというカメラで、普及機で高いカメラじゃないんですけど、「これ使ってええか?」って親父に聞いたら、「そんなんもう誰も使わんからあげるわ」といわれて、古いレザーケースを捨てて剥き出しにし、近所の写真屋さんでフィルムを買って撮り始めました。
俳優としてデビューした映画『キッズ・リターン』(1996)の取材を受けていたときに、あるカメラマンの方に取材終わりに、「今日これからシンディ・シャーマンの展覧会に行かないか」と誘ってもらって、東京都現代美術館に一緒に行ったんです。
その頃、三脚を立ててセルフポートレートを撮るみたいなことをやっていたのと、役者として演じるということを始めた時期だったので、会場の写真を見て、「自分で演じて自分で撮る」という彼女の作品のコンセプトがすごくシンクロしたんですよね。そういうところから写真に入っていきました。
―実際には当時どのような写真を撮られていたのでしょうか。
20代の頃は、共演した女優さんと仲良くなったら、プライベートの時間をもらって、自分で映画の1シーンのようにストーリーを考えて、撮影して、プリントして、その女優さんにプレゼントする、みたいなことをやっていました。
―具体的にどういうフォトストーリーを?
例えばすごく好きな女性がいたとして、その人がどこかに行かないようにするにはどうしたらいいか考えたときに、その人を殺せば魂から肉体まで自分の手に入ると思った時期があって、そういうストーリーばかり設定していました(笑)。
永瀬(正敏)さんにも、金属バットで女性を殺して山に連れて行くストーリーを設定して撮ったり。なんかけっこう血だらけのシーンばかり撮っていましたね(笑)。
―その場合、被写体が同じ「演じる」にしても、映像と写真で面白さは違いますか?
映像はやっぱり動くというのが魅力です。逆に写真は動いているものを止めて、見ることの良さですよね。だから、本当に叙情性というか、そのときだけの一瞬を切り取るということを考えています。
1枚の写真に感情をフレッシュなまま止めて、それをずっと見続けるということに写真の愛しさを感じるから。
―撮る行為とプリントして見たいという欲望の両方ありますか?
両方あります。最近はプリントしたものをちゃんと額装して飾ってあげるということも、写真に対する愛だし、被写体に対する愛だと考えるようになりました。だから、例えばこういうふうにZINEで形にして見てもらったり、自分からプレゼンしに行って展示の企画を進めていたりもしています。
さらにいえば、やっぱり作るにはお金がかかるから、写真家として作り続けるための資金をどうするかということもちゃんと考えたいし、撮らせてもらった人にもそのお金をちゃんと還元することもしていきたいです。
―カメラは何を使用しているのでしょうか?
最初は、子供のときから親に撮ってもらっていたアサヒのPENTAXを使っていました。そのあと、役者の仕事で雑誌の取材を受けたときにNikonのF3をカメラマンの方からいただいて使った時期もあります。
いま使っているカメラはCanonのEOS 5D MARKⅢです。2,230万画素なんですけど、人物を撮るにはこれくらいがちょうどいいですね。
花に見え隠れする死生観とエロス
―王道のモチーフではありますが、人物と同じく花もずっと撮られています。
ZINE『憂鬱な楽園』より
役者としても生きることと死ぬことをずっと演じてきたし、生と死の境目で人は考えるし、そこで感情が混じり合うと思うから、そういった感情や感覚を表現してくれるのが自分にとっての花だったりします。
一方で、花は性器にも見えるし、傷にも見える。枯れてもそこから再生するかもしれない。そういうことを花で全部表現しています。あと、単純に美しいですよね。
―矢崎仁司監督の映画『スティライフオブメモリーズ』(2018)では、女性に依頼されて、彼女の女性器を撮影する写真家という役を演じました。
あのときは撮影中、フィルムは入ってない状態ですけど、カメラ越しに1日20時間くらい女性の性器を見ていたんです。女性器に取りつかれていく話だし、女性の中にどういうふうに入りこむかっていう話だから、そうするとすべてが性器に見えてくるんですよね(笑)。
あるシーンでカットかかって部屋から出たとき、外に椿の花がいっぱい落ちていて、それが大きな1個の粘膜に見えたというか、全体で1つの性器にも見えたし、1個1個の女性器にも見えた。それは同時に血だったり傷だったりもしたんですけど、すごく印象的な光景で写真に撮りました。ここ最近は、自分が写真家としてオファーを受けたときは必ずその写真を入れていて、最新のZINEにも見開きで使っています。
―美しさと当時に情念のようなものも感じます。
僕の写真を見て、エロティックであると同時に暴力性とか死を感じるとおっしゃっていただくことがあるのですが、子供の頃に大怪我をして血だらけになった経験があって、そのとき感じた血の生温かさや、味とか、そういうこともどこかで影響しているのかもしれません。
―荒木経惟さんに近い雰囲気も感じます。尊敬する写真家はいらっしゃいますか?
荒木さんと比較していただくことはとても嬉しいことです。尊敬するといいますか、田島一成さんと仲良くさせてもらっています。彼が昨年行った個展の花の作品は意識してしまいますね(笑)。
一期一会の瞬間をどう止めるか
―波も撮られていますね。
20代のときにずっと花火の映像を撮っていた時期があるんです。イベントで、VJみたいな感じで音楽に合わせて編集した花火の映像を流したことあるんですけど、とにかくその頃は夏になると映画のオファーが来ても断って、『ぴあ』で花火大会のスケジュールを確認しながら(笑)、関東の花火を巡って撮りまくってました。
映画監督のSABUさんには「花火なんか全部一緒じゃん」っていわれて(笑)、たしかにそうなんだけど、でもそうじゃないんですよね。
その花火の感覚と波はすごく似ている気がします。反復しながらも二度と同じにはならないこと、つまり一期一会をどういうふうに止めるかっていうことが写真の1つの特性だし、それをどうやって見るかということも写真の楽しさだと思うから。
『憂鬱な楽園』から
花と同じですけど、やっぱりすごく美しくて、ほんとに飽きないんですよね。たぶんソール・ライターが傘を好きだったように、俺は波が好きだからっていうことだと思います。
―具体的に好きな波はあるんですか?
自分から波目当てで行くというよりも、役者の仕事で行った島で、オフの時間に自分の創作として撮ることが多いです。最近だとロケで伊豆大島や佐渡島に行きました。普段行けないようなところに役者として行けるというのは大切な機会だから、そこでは絶対撮っておくようにしています。
写真家・俳優・監督として
―今後の予定をお聞かせください。
この新作ZINEは、ヒロ杉山さん率いる「ENLIGHTENMENT」が企画・キュレーションする「Here is ZINE Tokyo #20」で発表しました。
来年はパルコでの展示を企画しています。波と空と花の写真をコラージュして、さらに九相図(屋外にうち捨てられた死体が朽ちていく経過を、九段階に分けて描いた仏教絵画)を飾る展示を検討中です。
―今年は「MIRRORLIAR FILMS」というプロジェクトで短編映画『さくら、』も監督されましたね。
はい。監督は初めての経験でしたが、やるんだったら1回のイベントで終わらせずに、長編を撮ることで協力してくれた人たちとまた集合して、自分の監督する映画で海外映画祭で上映したいという思いがあります。
自分の中では写真も、役者も、監督業もすごく関連していて全部つながっています。とにかくクリエイティヴにしか興味がないんですよね。
安藤政信|Masanobu Ando
1975年生まれ。神奈川県出身。俳優、写真家。1996年、北野武監督映画『キッズ・リターン』で主演を務めデビューし、多数の映画賞を受賞。映画やドラマを中心に活躍する一方で、近年は『GQ』などの雑誌で撮影するほか、フォトフェア「ART PHOTO TOKYO」にて作品展示。東京ファッションウィーク2017秋冬、2018春夏シーズンではオフィシャルフォトグラファーとしてバックステージを撮影。写真家としても積極的に活動している。