ブーメラン
先日仕事でお世話になった方との食事会があったのだが、その際に近くの席にいらした方に声をかけられた。話を聞くと自分は20年くらいまえに、その方からある雑誌でインタビューを受けたようなのだ。
なんと自分はどうやら当時、その方に説教のようなものをしたらしい。え、そうだったかなとおぼろげな記憶を辿ると、そのときの詳細を聞くうちにだんだんと思い出してきた。
何を言ったのか内容ははっきりとは覚えていないのだが、わりと強めな言葉でインタビュー内容の修正をお願いしたような気がするということは思い出した。
あのときはピリピリしていてすみません。。と謝ると、いえいえ、あのときの経験がいまの自分をつくっているので、とあたたかい言葉をいただいた。
そのように言ってもらえて助かったが、若かりし傲慢な自分と対面したような気持ちになり、恥ずかしくなった。20年くらいまえの自分、いま振り返ると、気負っていたし焦っていたし、自分を守ることしか考えていなかった。
思い返すとそういった類のことはいくつもある。ただそういった記憶は普段蓋をしてなかったことにしているだけで、現在の自分が正気で向き合うといたたまれない。
ただ、だからこそ、あのときにしかつくれない作品もあったし、それはそれで仕方のないことではあるのだが。
ではいまの自分が誰に対しても余裕のある対応ができているのかと問うと、そういうわけではなく、相変わらず短気できつい物言いをすることもよくある。
ただ感情に任せて出た言葉は、あとからブーメランとなって自分に刺さることはこれまでの経験で多々あるから、なにか言うまえにひとつ深呼吸したり、一晩置いてみたりと少し間を空けることを心がけるようにはなった。
深呼吸がひとつでは足りなくて、苦い気持ちになることもあるが、以前に比べるとそういった経験は少なくはなってきた。以前が多すぎたということかもしれないが。
何年か前からアンガーマネジメントという言葉をよく聞くようになったが、初めてその言葉に触れたとき、自分に必要なことだとしみじみ思った。ぱっと火がついた怒りの感情をそのまま他者に吐き出してもいいことはなにもない。
いま、海外のある仕事先の人とやりとりしていて、お互いの母国語が違う言語ということもあるのか、まったく言葉が通じないような徒労感に襲われることがよくある。先方は空気を読むということは苦手なので強いくらいの言葉ではっきり言わないと伝わらないから、逆にそういうときはテンションをあげて強い言い方のメールを送る。そうするとやっと伝わるのだが、その後へとへとに疲れている自分もいて、交渉したり意見を伝えるということになんと体力がいるのだろうと実感する。若い頃の自分は体力を持て余していたのだろう。
ある毒舌で有名な同年齢のタレントの方が、50歳を迎えて自分はまるくなったと語る記事を読んだ。自分はまるくなったのだろうか。まるくなったというより自分を守ろうとしてコーティングしていたなにかが、少しは取れてきたのかもしれない。
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