8 May 2024

川内倫子の日々 vol.33

冬と春のあいだに

8 May 2024

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川内倫子の日々 vol.33「冬と春のあいだに」 | 川内倫子の日々 vol.33

冬と春のあいだに

年が明けてしばらくして母方の叔父から電話があった。以前から調子が悪くなったり少し良くなったりを繰り返していた祖母の具合がいよいよ本格的に悪くなってきたようで、いますぐに必要というわけではないが、祖母の葬儀用の写真を準備しておいてほしいということだった。

ことしで99になるはずの祖母は認知症が進行していて自分の娘である母や、長年一緒に暮らしていた息子である叔父のことも認識できなくなっていた。いま会えてももちろん自分のこともわからないだろう。

PCを開いて数年前に撮影した祖母の写真のデータを探す。以前祖母の具合が悪くなったとき、叔父に葬儀用写真を頼まれていたのですでに準備はしてあったから、そのデータはすぐに探し出せた。まだ認知症が進むまえの、顔つきがしっかりした笑顔の写真だ。微妙に表情が違う写真が数点あり、そのうちの少し微笑んでいるものを選んだ。

それから約3週間後に祖母は亡くなり、プリントは葬式に間に合ったが結局自分が用意したプリントは使われず、それをスキャンして修正したものが使われた。背景が白く飛んでいて淡い色調のプリントは葬儀会社の基準ではNGみたいだった。叔父が申し訳なさそうにそれを説明してくれて、倫子の用意してくれたプリントを使ってもいいと言ってくれたが、葬儀会社の用意したもののほうがたしかにその場には合うような気がして、そちらを結局使うことにしてもらった。

 

通夜の日、昼過ぎに叔父の家に着くとまだ棺に入れられるまえの祖母に会えた。これから納棺の儀を行うということで参加した。叔父から順に柄杓で祖母の身体にお湯をかけていく。娘に一緒に水をかけようというと怖いと言って嫌がった。

その後葬儀会社の方がお湯を全身にかけて丁寧に洗ってから死装束に着替えさせてくださった。化粧も済ませて棺に入れられた祖母の顔を改めてゆっくり見ると、肌が透き通るようにきれいで、心なしか安心しているように見えた。自分がそう思いたかっただけかもしれないが、長い人生がやっと終わって安堵しているような。

納棺の儀は無事に終わり、棺を車に乗せると長いあいだ祖母の世話をしていた叔母が茶碗を自宅まえで投げて割り、霊柩車のクラクションが鳴った。親戚や近所の人たちが啜り泣く声がそれに重なり、祖母がもうこの家に帰ってこないことをその音が告げたようで、初めて自分も涙が出た。

ここ数年コロナ禍もあり祖母には会えていなかった。父方の祖母と違って同居していなかったこともあるし、過去に父方の祖父母を見送ったときよりも冷静に祖母の死を受け入れていた自分が冷たいような気がしていたが、祖母を悼む気持ちが霊柩車のクラクションによって引き出され、彼女とかつて過ごした時間を想った。

 

自宅に帰ってから、中断していた4月に始まる展示の作業に戻る。KYOTOGRAPHIEという毎年4月に京都で開催される国際写真祭で、潮田登久子さんと二人展をすることになっているためだ。

ケリングがサポートしてくださる女性支援の一環であるこのプログラムでの展示オファーを最初にいただいた際、潮田さんと家族の写真で展示できたらいいかもしれないと主催者のLucilleさん、仲西さん、スタッフのみなさんに伝えたところ、賛同していただき、潮田さんからもご快諾いただけたのだった。その準備が佳境を迎えていて毎日自宅の暗室でプリントと映像の編集作業を同時並行で進めていたのだが、それ以外の業務もあったりしてなかなか終わりそうになかった。

今回展示する内容は、自分の家族を祖父母を中心に学生の頃から13年間撮影した「Cui Cui」と、娘が生まれてから3歳くらいまでを記録した「as it is」だ。このふたつの作品を同時に同じ場所で展示したことがなかったし、部屋が分かれているとはいえ、ゆるやかにつながった空間で潮田さんの作品と一緒に展示するとどうなるのかと、楽しみな気持ち半分、不安も半分だった。

「Cui Cui」は写真をデータ化してスライドショー形式で展示することがいままでは多かったが、今回はアナログ式のスライド機を3台使い、プリントを63枚並べることにした。

それに合わせ、約20年まえの祖父の葬式の映像を流すことにしようと考えていたが、記録用にハンディカムで撮影しただけの、手ブレが多くて粗い映像だったので編集しながらどう見せるか悩んだ。何度か繰り返して見ているうちに、祖父が霊になって空中を漂うようにして彼自身の葬式を見ている目線の映像のようにも見えてきて、結局なにもいじらずにそのまま使うことにした。

映像には親戚や近所の人がお茶を入れたり、お弁当を食べながら話したりと雑然とした雰囲気の様子が映っている。いまはいない人が何人もいて、先日亡くなった祖母も映っていた。いまいる人たちも当たり前だが皆若く、室内で喫煙していたりする人もいて歳月を感じる。最近の葬儀は自宅ではなく葬儀場やホールで行われることが多いと思うが、この映像の葬式は各部屋の襖を外して実家で行った。準備や片付けで大変だったが、今思うといい式だった。先日の祖母の葬式は長くお世話になっている祖母宅の近所のお寺で行われた。住職の方がぜひとおっしゃってくださったらしいのだが、自分も小さな頃からよく通ったお寺だったし祖母を見送る場としてふさわしく思えた。いずれにせよ参列したことで自分のなかで祖父母との別れに区切りがつけられたようだ。

 

ようやく京都の展示の準備が9割ほど終わったとき、夫の祖母が亡くなったと義母から連絡があった。先日亡くなった自分の祖母と同い年だった。クリーニングから戻ったばかりの喪服をまた出して義実家のある天草へ。3週間ほどまえと同じような流れで最期のお別れをし、火葬場へ向かう車のなか、この時期に天草に帰ったのは自分の結婚式以来だと気がついた。同じ3月の終わりの、生類の気配や草花の芽吹きをそこここに色濃く感じる季節。あのときには存在しなかった娘と、娘の従姉妹にあたる義妹の娘がなにか言い合いながらずっと一緒に遊んでいた。子どもからは強い生のエネルギーを感じるから葬式の場に彼らがいると空気を中和してくれる。春のはじまりの気配がそれに輪をかけ、別れの寂しさを和らげるようだった。

 

自宅に戻ってまた残りの作業に取り掛かり、なんとか展示設営の日に間に合った。

設営初日、展示場所である京都市京セラ美術館へ行くと、すでに壁が出来上がっていて大勢の方が立ち働いていた。なにかが出来上がっていく場に立つと静かに高揚してくる。潮田さんの姿を見つけ、挨拶すると笑顔で返してくださった。その笑顔に自分も反射して笑うと少し緊張していた気持ちが解けた。

潮田さんとは過去に一度だけ短いご挨拶をしたことはあったが、ほぼ面識がなく、今回の展示をきっかけに広報のための取材や対談を通して少しずつお互いを知っていった。

そのなかでトークイベントのタイトルをどうするかというやりとりをメールで相談していたとき、潮田さんから以下のような言葉が届いた。

「カメラ」という小部屋を手にすることで、
何者にも制御されない時間を得ることができました。
長い年月の間、写真を撮り続けているうちに、
見えてきた自由です。

自分が生まれる前から、潮田さんはずっと「カメラという小部屋」で、自分だけの窓からの景色を見ていた。潮田さんほどに長い年月ではないが、自分も同じようにカメラを手にし、時間を積み重ねて得たものがあり、僭越ながら近しいものを感じた。ずっと会いたかったのに会えていなかった先輩に、やっと出会えたような。

 

展示設営が終わり、入り口からゆっくりと展示空間を歩いてみた。

まず潮田さんの部屋のたくさんの冷蔵庫の写真に圧倒され、他人の家の暮らしぶりを覗き見ることに少しの背徳感を持ちつつ、同時に幼かった頃の自身の家の生活を思い出す。いまはもう見なくなった型の冷蔵庫は、育った家にあったものとそっくりだ。そのなかに祖父用の養命酒、子ども用にイシイのハンバーグが常備されていたこと、夏には麦茶がいつも入っていたこと、写真と同じように冷蔵庫の周りは生活に必要なものが雑然と積まれていたり、段ボールが転がっているなかにはお菓子が入っていたことなど思い出す。目の前の壁一面に生活することの確かさが写っていて、その質量に飲み込まれる。

そして空間の中ほどですうっと空気が変わり、パートナーの島尾さんと娘のまほちゃんが写っている「マイハズバンド」シリーズへ。小さな子どもがいる生活なのに、写真からは賑やかさよりも静謐な空気を強く感じ、潮田さんがどの被写体へも等しく向き合っていることが伝わってくる。写真と写真のあいだには、おもちゃや手紙やカメラなど、生活をともにした物体が並べられていて、そのひとつずつから物語を想像し、物の持つ強さを再認識する。

自分の展示空間へ移動する手前の壁にある写真は、真っ直ぐに前を見つめている島尾さんのポートレートだ。そのまなざしはカメラを通して潮田さんを見ているのだろうが、鑑賞者である自分も見つめられながらなにかを問われているように感じて、なぜか宿題を渡されたような気分になる。

宿題を抱えたまま「Cui Cui」の葬式のビデオとスライドの部屋へ。葬式のあいだに交わされた、たくさんの人の話し声が聞こえてくる。慣れ親しんだ方言が自分にとっては心地よい。

 

ここしばらくの間に葬式に2回参列したけれど、その前後にふたつ別の訃報があり、葬式の案内も届いたが、迷った末にどちらも参列せずに花だけ送った。まだそれについてはもやもやとした消化できない思いがあり、そのふたつの死について考える。そういえば4年前に亡くなった友人の葬式にも行けなかった。墓参りに行って少し気持ちの整理がついたが、それはただの自己満足である。葬式に参列したら区切りがついたと思えたのは関係が良好だった祖父母だからだ。

暗い部屋を抜けると同じサイズのプリントが同じ高さに淡々と配置されてある。見る人によっては退屈に感じるだろうが、日常は退屈でもある、と思いながら「as it is」の娘の映像の部屋に入る。この映像は何度か展示しているが、今回は編集し直したので見やすくなった。でもそれに気づく人は多分ほとんどいないだろう。そこを抜けるとやや広い空間のなかにライトボックスが埋め込まれていて、写真ひとつずつから発光しているように見える。娘が生まれてからいままでのあいだに受け取ったたくさんのことがいくつも浮かび上がってくるが、可視化できないものばかりだ。職業柄、それについてはいつもジレンマが伴う。

このふたつの作品の間に壁を設置してもらったが、それはゆるやかにカーブしていて川を連想させる。時間が流れているように。時々葬式の読経が聞こえてきて、もう片方の部屋からは産声が上がる。

また潮田さんの部屋に戻ると時間の流れが最初に見たときよりも変則的に感じる。冷蔵庫の写真がまた過去に引き戻す。

わたしの記憶が潮田さんの冷蔵庫に、まほちゃんの投げ出した足に、島尾さんの目の前に置かれたスイカにつながり、祖父母がいたあの家の台所に、畑の野菜に、祖父がイチゴに砂糖と牛乳をふりかけてくれた器につながる。写真が記憶の引き出しをひとつずつ開けて過去と現在を行き来する。日々の営みのなかに出会いがあり、別れがあり、葬式があり、誰かが生まれてくる。誰かの部屋にはいつも冷蔵庫がある。冷蔵庫は時々不安にさせたり大切ななにかを保存してくれたり、音をたてて寄り添ってくれたりする。

わたしたちはそれらを見つめ、ただ繰り返し、積み重ねて自由を得てきた。

川内倫子の日々 vol.32

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