11 July 2018

Interview
Massimo Vitali

マッシモ・ヴィターリインタヴュー
ビーチを通して人間を観察する、スペクタクルなランドスケープ

11 July 2018

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マッシモ・ヴィターリインタヴュー「ビーチを通して人間を観察する、スペクタクルなランドスケープ」 | マッシモ・ヴィターリインタヴュー 01

ビーチでくつろぎ、至福な時間を過ごす人たちを写す、パステルカラーのドリーミーな写真で知られるイタリア人写真家マッシモ・ヴィターリ。コマーシャルフォトグラファーを経たのち、1990年代より作家になることを決意し、以降一貫して大判カメラでこのシリーズを撮り続けてきた。その間、ヨーロッパやアメリカの美術館やギャラリーで数多くの展覧会をしてきたが、この7月に日本で初となる個展「Coastal Colonies」をスパイラルガーデンで開催する。自らのスタジオに気さくな雰囲気で迎えてくれた74歳のマエストロの人生と制作はどんなものなのだろうか?

文=糟谷恭子

―まずは写真家になった経緯を教えていただけますか?

父の友人で、ある有名な美術評論家の方の影響です。当時のイタリアの芸術家のメンターとなっていた人でした。静物画家であるジョルジョ・モランディとの親交も深かったその人が、12歳の私にカメラをくれたのです。いまの時代だったら、あまりにもありふれているので使わない人もいると思います。しかし、当時カメラは価値のあるオブジェであり、それをもらうということには大きな意味がありました。そのときから写真を撮り始めました。人と同じことをしたくなかった15歳のときから、ますます力が入るようになりました。

―イギリスで写真の勉強をされていますが、なぜイギリスだったのでしょうか?

60年代のヨーロッパでは、写真を本格的に学べる大学機関はロンドン・カレッジ・オブ・プリンティングぐらいしかなかったのです。だからロンドンに行きました。卒業後はコマーシャルフォトや映画のスチール撮影をメインに、長い間職業カメラマンとして働きました。

―その後に写真家になろうと決意されたのですね?

はい。実際、カメラマン時代の私と写真の関係性は良好なものとはいえませんでした。自分のやりたいことは何か?と考え始め、自分が幸せになれる方法を模索したのです。その答えとして、自分の作品を作るべきなのだと思いました。それにコマーシャルの仕事でトップになるのは至難の技です。いまの時代は素晴らしい写真、また面白いイメージはインターネットによって普及しやすいですが、60、70年代当時は誰も写真のイメージの良し悪しについて気にしてはいませんでした。また自分の作品を取り始めた90年代に、写真が現代美術として認められる傾向になってきました。美術の分野で、それまでずっと写真は放置されてきましたが、やっとスポットが当たるようになったのです。


マッシモ・ヴィターリインタヴュー 02

―どうして、ビーチを被写体として選ぶことになったのですか?

私にとってビーチは、人を観察するのに最適な場所なのです。つまり、人の写真を撮るためにビーチにいくわけで、ビーチの写真を撮りにいくわけではないのです。人間の立ち居振る舞い、私たち人間という存在を観察するのにビーチは最も適した場所です。人が浜辺でどのようにスペースを分け合い過ごしているか、またどのようにお互いを見つめあっているか、逆に見つめ合わないようにしているかなどです。これは地理的な要素よりも、もっと重要なポイントです。また生活の中で最も重要な要素のひとつは「水」だと思います。人が水と戯れている瞬間に興味があります。水は生命のシンボルであり、どんな人も約9カ月ほど母親のお腹の中で育ち、水に育くまれて生まれてきました。水の中にいると人間はリラックスしますし、怒っている人を見ることはありません。また私たちの性格や個性が、普段とは違ったかたちで見えると思います。

―随分長い間ビーチで写真を撮っているとのことですが、ビーチ自体に変化はありましたか?それともそこにいる人たちは変わりましたか?

人間の方がビーチよりも大きな変化を遂げています。例えば20年前に撮影したビーチに戻ると、何か大きな異変が起きているように見えました。それはビーチが地理的に変わったのではなく、そこにいる人たちが変わっていたのです。例えば、どのように体をメンテナンスしているか、タトゥーのモチーフとか、また水着のスタイルとかです。でも、一番の変化は「態度」です。いまの人は自分の体を他者に見せつけています。セルフィーがいい例ではないでしょうか?携帯でセルフィーをとってSNSにポストし、自分の存在を見せつけているのです。20年前の一般の人は、ほとんどビーチで写真を撮ってはいませんでした。また多くの人がビーチで常に携帯を眺めて時間を費やしています。雑誌や本を読んで過ごしている人は、ほぼいなくなってしまいました。昔はみな、ビーチにいることをもっと楽しんでいました。テクノロジーのせいもありますが、何かが起きてしまい、この10年ぐらいの間に人間自体が大きく変わってしまったのです。

―撮影をしているときに、撮影を中断されたり、拒否されたりすることはありましたか?

そんなことは一回もありません。むしろ私の写真に写っている自分を見つけて喜んでいる人に出会いました。プライバシー問題はどんどん厳しくなっていますが、いまのところ特に問題はないです。


“Riccione Black Bikini”, 1997

“Riccione Black Bikini”, 1997

―ワイドアングルで撮ることの意味は何でしょうか?

たくさんの人を撮るにはワイドアングルで取るのが一番良い方法ですよね。また大判フォーマットを使うことによって、全体をシャープに撮ることができるのです。全体をシャープに撮るのは小さいカメラでは無理です。私はシャープで精細なイメージを求めているので、三脚を使ってカメラをしっかり固定し、カメラを少し斜め下に向けて撮影します。上から撮るということに関してはルネッサンスの絵画のアングルとも似ています。また写真が現代美術の領域に入ってきたからには、大判サイズのプリントが絶対に必要になると予測していました。細部もくっきりとしたプリントを作りたかったのです。

―この作品が世の中で知られるようになったきっかけを教えてください。

この作品を作り始めたとき、自分の撮ったイメージが感覚的に気に入ったのです。しかし周りの人からは、「ビーチの写真?面白くないよ」っていわれました。でも自分では良いと思っていたので、ただ続けていきました。当時この手の写真を撮っている写真家はほぼ皆無に等しい状況でした。いまでもある程度有名な写真家で、このような作風を作っている人は20人ぐらいではないでしょうか。また、それまでパステル調のプリントをやっている人もいませんでした。当時は、暗く引き締まったプリントをみんなこぞって作っていました。しかし、私は違う感じのイメージを生み出したかったのです。ほかの写真家がやっていなかったこと、また自分のスタイルを貫いてきたことが成功の鍵だったのだと思います。当時にはなかった写真表現の扉を開けたと言ってもいいかもしれません。

―どうやってパステル調の色を出すのでしょうか?

フィルムの場合は普通に現像してただ単純に明るくプリントするだけです。カラーバランス調整をする時、色の場合は白のエッジが出てくるぐらいまで明るくする、黒は暗くなりすぎないようなグラデーションを心がける。またビーチの場合は砂浜が大概白いのでパステルっぽい色調になりやすいのです。デジテルでも同じことがいえます。Photoshopで色を変えたりするレタッチはしません。アナログ写真と同じように写真自体にはほとんど手を加えず、プリントするときに明るさを調整するぐらいです。

―ビーチで写真を撮影するのに一回あたり何枚ぐらい撮影しますか?

写真を撮るのは1、2枚です。だいたい午前中に行って、いいスポットを見つけて、三脚とカメラをセッティングして1枚か2枚撮って終わりです。大判を固定する三脚のセッティングは移動が難しいですし、たくさん撮ればいいというわけではありません。この20年間で撮ったネガは、失敗したものも含めて全部で4176枚です。コマーシャルフォトグラファーにとっては、二日間で終わってしまう数ですよね。銀塩の大判はフィルム、現像、コンタクトプリントのコストを含めるとだいたい1枚あたり200ユーロ(約26,000円)もかかるので、集中して撮ります。8×10カメラも11×14カメラも使っていました。約2年前からミドルフォーマットのデジタルパックを使うカメラを使い始めました。デジタルはコストがかからないけど、たくさん撮ることはしません。オーバーシュートすると自分の中のバランスを失ってしまうのです。


“Cefalu Orange Yellow Blue”, 2008

“Cefalu Orange Yellow Blue”, 2008

―東京で展示する写真はいつもよりかなり大きいサイズのものがあるとのことですが、理由を教えてください。

日本での個展は初めてなので、いままでの作品のアーカイブをどうやって見せたらいいかと思って、薄い布のような素材を使用し、大きいサイズで出力しました。いつもギャラリーや美術館で展示する作品はサイズが決まっていて、185×235cmだけなのですが、会場であるスパイラルはとても広いので7枚の通常のサイズの写真と9枚の大きいサイズの写真を組み合わせて展示するという方法を取りました。出力はデュッセルドルフのラボで出しています。詳細は秘密なのですが、ウォーターベースカラーで中間色がうまく表現できる出力方法をとっています。インクジェットとはまた違います。インクジェットは紙の表面にしかインクが乗らないのですが、このインクは紙の中に浸透するようになっています。印画紙と同じですね。

―今回初来日とのことですが、以前から日本に興味はありましたか?

日本について特別な記憶があります。私の母は戦後の日本に住んでいました。当時、難民キャンプで働いていた男性と再婚し福岡に住んでいました。たくさんの韓国系難民がいたそうです。6、7歳のときに母が日本から送ってくれたものは、大きな缶に入った海苔の巻かれたおせんべいです。そのようなものを当時のイタリアで目にすることはなく、匂いも特別なものに感じました。最近全く同じものを目にしましたが、そのときのことを思い出します。その懐かしさと自分が思い描いていた伝統とハイテクが入り混じった日本が、この滞在でどうマッチするのか体験してみたいと思っています。

―日本では撮影の予定はあるのですか?

あります。今回は日本をよく知るためにニ週間滞在することにしました。家族も連れて行きます。せっかくの機会なので撮影したいと思っています。ミラノ在住の日本人の友人がいろいろと良いスポットを案内してくれる予定です。最近、アイスランドの温泉で撮影したのも影響して、温泉を撮影したいと思っています。普通の温泉ではなく、猿だけしかいない温泉です。そこで撮影をすることによって、猿は果たして人間と同じように見えるのかという疑問があるので、新境地を開くにはもってこいかもしれません(笑)。


マッシモ・ヴィターリインタヴュー 03

タイトル

「Coastal Colonies」

会期

2018年7月10日(火)~7月16日(月・祝)

会場

スパイラルガーデン(東京都)

時間

11:00~20:00

URL

http://polugallery.jp/Massimo_vitali/

マッシモ・ヴィターリ|Massimo Vitali
1944年、イタリアのコモに生まれる。1964年、ロンドン芸術大学のロンドン・カレッジ・オブ・プリンティング(現ロンドン・カレッジ・オブ・コミュニケーション)にて学ぶ。フリーのフォトジャーナリスト、広告やフィクション映画の撮影技師として活動したのち、1993年から大判フィルムカメラでの撮影を始める。1995年にビーチシリーズを始める。彼の名を一躍世界的に有名にしたのは、高く組み上げられた足場からビーチの一瞬を撮影するビーチシリーズであり、その後もプール、ディスコ、スキーリゾートと世界中のレジャー地へと撮影シーンを広げていく。現在イタリアのルッカとドイツのベルリンに生活と作品制作の拠点を置いており、夏のシーズンには毎日イタリアの地元のビーチへ行き、ビーチで一日中過ごすというライフスタイルを送っている。
Webサイト:https://www.massimovitali.com/
Instagram:https://www.instagram.com/massimovitali_omissamilativ/

>マッシモ・ヴィターリのオンラインギャラリーはこちら

2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。

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