写真はどれだけ自由でありうるのか。テクノロジーがますます写真を多様にしていく現代において、藤原聡志はこの問いに真正面から向き合う。ドイツ・ベルリンで活動する彼は、現在ベルギーと日本で開催中の3つの展覧会で作品を発表している。圧倒的なスケールと鋭く批評的な作品は、アートフォトのフロントラインで近年注目を集めている。話題の新作から定評のある過去作まで、一貫した制作のポリシーについて藤原自身が語った。気鋭の写真家が語る「次代の新たな写真観」とはー。
インタビュー・構成=若山満大
―「Biennale de l’Image Possible 2018(BIP 2018)」に出品している新作について教えてください。
今回の作品は「VENUS」というトレードショーを撮影したものです。アダルトグッズやポルノグラフィの展示会で、昨年ベルリンで開催されました。そのプログラムのひとつにセックスショーがあります。作品のメインの素材になっている写真は、その演者と観衆を撮影したものです。そこに過去に撮影した警察や動物の写真など、もともと直接関係のないさまざまなイメージを組み合わせたアッサンブラージュをつくりました。
以前からヌードの文脈について調べていました。古代から続く美術の文脈の中で、裸体というものが絵画や彫刻によってどう表現されてきたのか興味深かったからです。肉体美や性愛といったものを、現代の写真ならばどう表現できるか試みました。
Scanning #1, 21_21 DESIGN SIGHT企画展「写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−」, 2018 撮影:吉村昌也
―藤原さんは現在、ベルギーのほか日本でも作品を発表されています。ひとつは21_21 DESIGN SIGHT(以下、21_21)で開催中の「写真都市展−ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−」ですね。巨大な作品が印象的でした。
半屋外のスペースを使って、「Scanning」というシリーズを4m×25mのサイズで展示しています。安藤建築の象徴であるコンクリート空間に写真で対峙するために、イメージ自体に現実の展示環境や時間を取り込めるようなスケールと形態にする必要がありました。時間帯によって作品に当たる光は変化しますし、天候によってもイメージの見え方は変わります。また、背後にそびえ立つ高層ビルも「写真の背景」として取り込んでいます。
―天王洲のIMA galleryでは個展を開催されていますね。こちらはギャラリーの白い壁面を使いつつ、半立体的なおもしろい展示方法をとっています。
日本での2カ所の展示では、同時開催という機会を利用して、共通のモチーフを使用していかに違ったイメージとして提示できるかを試みました。IMA galleryの展示では、1/5~1/200までの異なる6種のスケールのイメージを作り、そこへそれぞれひとつずつ別のシリーズからイメージを足しています。この「スケール」はそもそものイメージには無関係なものなのですが、アウトプットの段階である制約を設けることでそれがイメージにどう作用するのか見てみたかったんです。
同時に、制作者が無意識に行なっている「現実の縮尺」も問題にしました。どんな作品も、多かれ少なかれ展示空間のスケールに影響を受けます。自分自身もこの問題を引き受けつつ、イメージがいかに展示フォーマットや空間に制約を受けているかを逆説的な方法で示す実験をしてみたという感じですね。
―藤原さんの作品は、初期から一貫してターポリン(いわゆる防水シート)にプリントしていますよね。この素材を使う理由はどこにあるんでしょうか?
形が自由に決まるところがいいですね。一般的な印画紙は、一回折り曲げたら跡がついて戻らないという点で可塑性は低いです。その点ターポリンは、何度も調整しながら形を作っていく上で最適だと感じました。2014年の初個展で使って以来、ずっと使い続けていますね。
―最初からプリントをぐしゃぐしゃにして立体的に見せることを念頭に置いた上で、ターポリンを使い始めたんですか?
初めから完全に意図的だったわけではありません。ソフトウェア上で完璧に展示デザインを設計しうる現代において、デジタルで収まりきらない不整合性やフィジカルな要素を取り入れたりして、現実空間においてイメージを解放する方法を探っていたんだと思います。
―写真を平面ではなく、立体として見せようと思ったのはなぜですか?
立体として見せようという確固たる意志があったわけではなく、まず「なぜ写真を平面として展示しなければならないのか」という根本的な疑問がありました。その疑問に対する暫定的な答えとして、自分の作品はあります。
展示は一回一回が固有の機会であって、過去に発表したものを再提示するための場ではないと思っています。ですから、その都度新しく作る、あるいは「いま、ここ」の固有性に即してインスタレーションしていくことを念頭に置いて制作しています。
つまり、機会の一回性や固有性に応じていくために、必然的に「写真表現を平面に限定せず、自由にとらえてみる」という解答が出てきたんですね。そういうスタンスで制作された自分の作品を、ひとまず「インスタレーション」と呼ぶことにしていますが、これに代わるいい言葉をいま探している最中です。
CODE UNKNOWN, Wer-Haus, Barcelona, 2016
―展示する空間や状況に応じて、写真の形状それ自体を変えていくというのは面白い発想だと思います。自律性を放棄していく先に、どのような可能性を感じているんでしょうか?
写真はアート以外にも、報道やコマーシャル、科学、ポルノなど、いろいろな領域と絡み合いながら展開してきました。これに対しては、自律性を担保できていないとか、従属的な立ち位置に終始しているといった見方もあるでしょう。しかし、そういう写真の特性をウィークポイントととらえるのではなく、ポジティブにとらえ直してみたら、可能性はいくらでも広がるなと考えたんです。
写真がほかの領域と結びつきやすいということは、逆にいうと、ほかの領域のさまざまな要素を抱え込める可能性があるということですよね。アウトプットの自由度をあげることで、さまざまなメディアや空間に対して、写真は変幻自在に介入できると思っています。
―藤原さんにとって写真は、ほかの領域に影響され、また影響を与えていく存在だということですね。
高度経済成長期に「メタボリズム」という建築運動が起こりましたよね。あの概念を写真に応用したらおもしろいと思うんです。おそらく、誤読を多分に含んでいるんですが…。写真は編集や展示の仕方によって、あるいは空間や時代の常識によって、見た目は変わらなくても、意味が変わるということは起こりえますよね。イメージは有機体のように、どんどん中身が入れ替わっていく。
先程インスタレーションに代わる言葉を探しているといったのは、そういう意味合いも含み込みたいからなんですよ。インスタレーションと呼ぶと「一個の作品」という意味がもれなく付いてきてしまいます。でも、写真が有機体として新陳代謝している以上、一瞬たりとも「同じ写真」であることはありえないわけです。
つまり見る人、見る場所、あらゆる状況によって、ある写真はその都度違ったものとして現れる。そういう「同一性を前提としない作品のあり方」を指し示す言葉をいま探しています。
―写真が有機体だという発想は面白いですね。たしかに見た目には同一性を保持しているように見えますが、写真の意味は諸条件によってその都度決定されます。つまり、決して同一ではありえない。その意味ではたしかに「新陳代謝」していますね。
写真は必ずしも事実を正確に描写したものではなく、イメージ自体も、そのイメージが持つ意味も、いくらでも恣意的に操作することができます。それは過去のプロパガンダや、昨今のデジタルマニピュレーションの進化が証明しています。
僕自身も写真を徹底的に操作しています。立体的に提示したり、関係ない写真を恣意的に組み合わせたり、粒子を強調して触覚的な印象を与えたり。そういう操作を実験的に繰り返すことで、イメージが個人や社会にどう作用するのかを確かめたいんだと思います。イメージそれ自体の可能性を探っているともいえるかもしれません。
POLICE BRUTALITY, outdoor installation, Tokyo, Japan, 2017
―被写体との関係性についてなんですが、撮影時にコミュニケーションはとっているんですか?
基本的な態度として、被写体との関係をできるだけ築かないようにしています。コミュニケーションもとりませんし、自分自身の情動もできる限り抑制していますね。
―被写体のクローズアップも印象的です。
背景の情報は意図的に消しています。別にクローズアップが好きなわけではなく、不必要な情報としての背景を消そうとした結果、任意の被写体を拡大したような画面になるんです。
背景って情報量がすごく多いので、任意のイメージがそのなかに囲い込まれてしまうんですよね。でも、背景を取り除けば、イメージは外部にある空間に直接介入します。イメージが展示空間を取り込みはじめるんです。
―一般的な写真の展示においては、額縁やマットを使ってイメージを展示空間から切り離そうとすることが多いのですが、藤原さんの手法はその逆というわけですね。藤原さんは、以前はデザイナーをされていたそうですが、その経験は現在の制作にも反映されていますか?
デザイン会社に勤めていたときは、チラシやポスターみたいなマス広告の制作をしていました。写真には日常的に接していたんですが、写真の世界に「カメラから入っていない」ということは重要な経験だったと思いますね。ガジェットが好きとか、撮影が楽しいとか、そういう理由で写真を撮りはじめたわけじゃないんですよ。
写真素材を使ってマス広告的なイメージをデザインしていくことって、悪くいえば「情報操作」ですよね。写真という視覚情報が社会に与える影響にはその当時から興味があって、それが現在の制作にも反映されていることは確かだと思います。
しかし、だからといって社会に対する訴求力やメッセージ性みたいなことは全く考えていなくて。警察官を撮影している作品「#R」や「MAYDAY」シリーズも、あくまで権力のイメージをある意図を持って扱うことや、印象操作という側面に興味があって制作したものです。
市民のデモとそれを鎮圧する警察のイメージを使用していますが、実はあの写真はフェイクで、本当にあったデモを取材した作品ではないんです。全く異なるタイミングで撮影した人物の写真を組み合わせていますし、傷を負った人の顔や手もデジタル加工でそれらしく作り込んでいます。
つまり、現実にフォーカスしているというよりは、写真が見せている「現実」にフォーカスしているんです。だから、必ずしも政治的だったり、ソーシャルな問題に直接的に何かを提起するための作品ではない。その意味でこの作品は報道写真のパロディであって、いわゆるドキュメンタリーではないんです。
―それでも、「デモとその鎮圧にあたる警察」という社会的な事柄をあえて避けずに取り扱うのは何故なんでしょうか?
強いイメージを作り出そうと思ったとき、半ば自然に、政治や社会の問題を扱うことになりましたね。「CODE UNKNOWN」でも、その人が社会的にどういう属性を持った人かということは気にしてはいないつもりなんですが、あとから振り返ってみると結果的には低所得者層の人々ばかりでしたね(笑)。
おそらく無意識のうちに社会的な問題を気にしているんですね。ですが、写真で社会的なものを表現できるとは思っていなくて。写真で「写真」を表現しているきらいがありますね。
―写真という手段を使って、写真の本質を提示するということですね。写真が写真以外のものを表現しようとすると、絶対そこで「嘘をつくことになる」じゃないですか。そういう「嘘つき」な部分も含めて、写真の性質を明らかにしたいということだと理解しました。今後、ご自身の表現をどのように展開させたいと考えていますか?
写真からできる限り距離のある分野と関わっていきたいですね。写真を、それまでほとんど関係のなかった分野と結んでボーダーレスな関係性を作り出せたら面白いと思っています。
タイトル | 「Biennale de l’Image Possible 2018」 |
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会期 | 2018年2月17日(土)~4月1日(日) |
会場 | La Boverie ほか |
時間 | 10:00~18:00 |
休館日 | 月曜 |
URL |
タイトル | |
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会期 | 2018年2月23日(金)〜6月10日(日) |
会場 | 21_21 DESIGN SIGHT(東京都) |
時間 | 10:00~19:00(入場は閉館の30分前火曜(5月1日は開館)まで) |
休館日 | 火曜(5月1日は開館) |
入館料 | 【一般】1,100 円【大学生】800 円【高校生】500 円【中学生以下】無料 |
URL | http://www.2121designsight.jp/program/new_planet_photo_city/exhibits.html |
タイトル | |
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会期 | 2018年2月16日(金)~3月30日(金) |
会場 | IMA gallery(東京都) |
時間 | 11:00~19:00 |
休廊日 | 日曜・祝日 |
URL |
藤原聡志|Satoshi Fujiwara
1984年、兵庫県生まれ。2007年、大阪芸術大学芸術学部卒業。都内のデザイン事務所に勤務した後、2012年に拠点をベルリンに移し独学で写真を始める。2014年、JAPAN PHOTO AWARD受賞。2015年、写真集『Code Unknown』を刊行。2017年、個展「EU」をイタリア・ミラノのプラダ財団による展示施設オッセルヴァトリオ(Osservatorio)で開催。また2016年には、ドイツのオペラハウスからの要請を受け、ベルリン市内のさまざまな空間で写真によるインスタレーションを発表し、同オペラハウスで個展も開催した。2018年、ベルギー・リエージュ近代美術館(La Boverie)で行なわれるビエンナーレ「Biennale de l’Image Possible (BIP-2018)」に参加。
2021年3月以前の価格表記は税抜き表示のものがあります。予めご了承ください。